- コラム
オスプレイは危険な飛行機か? 軍用ティルトローター/ティルトウイング機の歴史
2017/01/20
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/12/8
菅野 直人
世界の軍用機には勝利に貢献したり、長らく使われる「歴史的名機」が数多くありますが、大抵はその裏でひっそりと試作止まりで終わったライバル機があったりするもの。特に画期的な飛行機が開発される時には、「失敗した時のため、一応保守的な機体も作っておこう」というのはよくある話です。今回はそんな「保険機」を少しご紹介。
By 不明 – http://www.nationalmuseum.af.mil/photos/media_search.asp?q=b-32&btnG.x=0&btnG.y=0 direct Link to the picture:http://www.nationalmuseum.af.mil/shared/media/photodb/photos/060713-F-1234S-008.jpg, パブリック・ドメイン, Link
日本にとっては憎き仇敵、でもジュラルミンの地金をキラキラさせて飛んでくるのは悔しいけどカッコイイ……と複雑な想いを抱く歴史的名機、ボーイングB-29スーパーフォートレス。
高高度飛行が可能で大航続距離を誇り、搭載量も抜群という画期的な超重爆撃機でしたから、米陸軍航空隊(米空軍の前身)もB-29だけでは不安で、開発が失敗した時のためボツになった設計案から保険としてもう1機種、一応開発させることにしました。
それで結果的にGOサインの出たのが第2次世界大戦中最大の生産数を誇った傑作重爆撃機、B-24を作っていたコンソリデーティッド社で、同社はB-24の大型拡大版のような四発(エンジン4基)超重爆、XB-32を開発します。
しかし、B-24同様の双垂直尾翼に不具合があったようで単垂直尾翼に直したり、B-24には無かった与圧装置(現在のジェット旅客機のように高高度でも地上に近い気圧に保つ装置)が不調だったり、おまけに試作機まで墜落して開発は難航。
同じく開発難航したとはいえ「本命」のB-29は1944年5月には部隊配備が始まってしまったので、「保険」のB-32は「もう別にいいや」という話になり、まだまだ使われていたB-17やB-24を置き換える普通の爆撃機として開発続行されることに。
しかし、それでもなお開発が難航、量産1号機が完成したのは1944年9月になって、今から部隊配備の努力をしても戦争の行く末はもう決まっているし、ということになって、結局試作機を含め118機しか作られませんでした。
そんなB-32でも、「ウチにいつになってもB-29が回ってこない、この際B-32でもいいや」と欲しがる爆撃隊指揮官もいて、1945年7月に唯一の実戦部隊がフィリピンに展開したものの、8月15日には終戦。
結局、終戦直後の偵察飛行に沖縄から飛び立ったB-32がまだ血気盛んで武装解除に応じていなかった一部の日本海軍機に迎撃されて損傷するなど、数少ない実戦参加もロクなことが無く、そのままスクラップになって消えたのでした。
By United States Army Air Forces – http://1000aircraftphotos.com/Contributions/McMahan/3319.htm, パブリック・ドメイン, Link
前項で紹介したように、「保険」よりはマシな開発状況だったB-29ですが、もちろん問題皆無なわけもなく、特に新型のターボチャージャー付大型空冷エンジンR-3350は技術的熟成が進むまで火災事故など故障の多発するひどいエンジンでした。
ただ、B-29そのものはモノになりそうだったのでR-3350が開発失敗した時の保険として、別のエンジンを搭載したXB-39を並行してテストします。
これはB-29の増加試作機YB-29を改造してV-3420エンジンに改装したものですが、このV-3420がR-3350に輪をかけたダメエンジン。
V-1710というそこそこ成功したエンジンを2つ結合した双子エンジンなので2倍してV-3420という適当なネーミングからして既に怪しいところ。
こうした「エンジン2倍で馬力も2倍!」とウマイこと考えたつもりのエンジンは、大抵1つのプロペラを回すため2機のエンジンからの出力を結合するギアボックスの調子が悪いだの、高熱源を狭いとこに並べてるので冷却不調を起こすなど、大抵失敗します。
V-3420もその例にもれず全力運転するだけでも難しい代物で、ようやくなだめすかしてXB-39の初号機が初飛行した頃にはR-3350の技術的問題も解決、全く無意味になったのでした。
その後のXB-39は「B-29のエンジン換装型」という特性を活かして他にもいろいろなエンジンのテストに使われましたが、作られたのは1機だけ。
もしR-3350が失敗していたらV-3420であーでもない、こーでもないとしていたのか、それとも別なエンジンを使ったのか、たぶん後者でしょう。
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日中戦争で複座の小型水上偵察機が案外に軽快、偵察だけでなく爆撃に空戦にと便利だったことや、1940年頃までの北方重視政策から南進政策へと本格的に変更したのに伴い、南洋の未開の島でも迅速に航空戦力を展開できるよう、水上戦闘機を開発することになりました。
何しろ水上機は滑走路がいらないし、海ならどこまでも続く海面を滑走路に使えるので短距離離着陸性能は不要、大馬力エンジンを積んで高速性能に振り向けられ、素晴らしい機体ができるに違いない!
そういう構想で後に完成、制式採用されるのが水上戦闘機「強風」ですが、あまりに要求性能が高すぎてアレコレと新機軸を使わねばならず、開発に時間がかかりそう。
そこで日本海軍は既に高性能を発揮していた零戦(零式艦上戦闘機)にフロート(浮舟)を追加した水上機化を考え、零戦改良型の開発で忙しい三菱飛行機ではなく、中島飛行機に開発を命じました。
こうして太平洋戦争の始まった1941年12月8日に初飛行、速度が落ちるのを除けばその他の性能はまさに零戦譲りでほぼそのままな高性能機であることを証明し、1942年7月に二式水戦(二式水上戦闘機)として制式採用されます。
その一方で高性能になるはずだった「強風」は凡庸な性能しか発揮できず、おまけに開発が遅れているうちに連合軍の新型戦闘機が水上機で対抗できないレベルへ発展。
結局、水上戦闘機として活躍して名声を得たのは「保険」のはずだった二式水戦の方でした。
その二式水戦もこれ以上の活躍は無理! 生産中止! となった1943年半ば以降、ようやく「強風」の配備が始まりましたが、もちろん全く活躍せずにオシマイ。
唯一の救いは、そうやって二式水戦が頑張っている間に「強風」を開発したノウハウを活かし、陸上戦闘機に転換した「紫電」や「紫電改」が高性能戦闘機として活躍したことくらいでしょうか。
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1952年に試作機YB-52が初飛行、以来65年がたった2017年現在も現役で、おそらく100年たった2052年でもまだ現役じゃないかと言われる、ジェット爆撃機の傑作中の傑作、ボーイングB-52ストラトフォートレス。
冗長性が高く構造疲労に強い設計や大搭載量、後の戦術変化による低空高速進撃にも耐える飛行性能などが長寿の理由ですが、その「保険」として開発された機体が採用されていたら……たぶん無理だったと言われるのがコンベアYB-60です。
B-52の前に米空軍で超長距離核爆撃ミッションに対応していた超重爆撃機、コンベアB-36のジェット機化&後退翼機化とされていて、「B-36との部品共通性も高いので、B-52より安いですよ!」が唯一の売り文句のような飛行機。
ただし現実はレシプロ超重爆をちょちょっとイジったくらいでジェット超重爆を作れるはずもなく、B-36と同じ部分は胴体の一部くらいなもの。
それは米空軍もよく承知していて、「まあB-52が失敗したら対ソ核戦略でいろいろ困るし、念のため」くらいで試作させたのでした。
結果はご存知の通りB-52が開発成功、おまけにパパっとできるはずだったYB-60が初飛行する前にB-52の試作機YB-52が初飛行。
おまけに爆弾搭載量以外の性能は完全に劣っていたので、YB-60には全くいいところが無く、B-52に目途がついたので開発は早々に打ち切られたのでした。
By United States Army – http://www.history.army.mil/, パブリック・ドメイン, Link
1940年代後半から大規模な実用化が始まったヘリコプターは、1950年代からパワーに余裕が出てきて機関銃やロケット弾で武装するようになります。
ただ、空中武装プラットフォームとして単純に輸送ヘリを転用するのは、火器管制装置の不備などもあって、「今ロケット弾が命中しただろう? あれがたぶん目標だ!」とジョークになるほど、「狙って撃つ」能力に欠けていました。
それを何とかしようにも敵地上空で静止してじっくり狙うのは危険で、かつ速度も遅かったので急場に間に合わないなど、初期のヘリを攻撃目的で使うには、さまざまな問題があったのです。
そのため1960年頃から米陸軍では装甲を施し誘導ミサイルなど多彩な兵器運用能力を持ち、従来のヘリより高速飛行が可能な全くの新兵器「攻撃ヘリ」ロッキードAH-56シャイアンを開発し、制式採用します。
しかし、新兵器ゆえの問題解決や運用のための評価に時間がかかることから、実戦配備までの急場しのぎという「保険」のつもりで、汎用ヘリUH-1の機体前半部を攻撃ヘリ仕様にしたベルAH-1G「コブラ」を採用、ベトナム戦争に投入しました。
AH-1Gは期待通りの性能を発揮、「本命」のAH-56が配備されればさらに……と言いたいところでしたが、開発コストがかかり過ぎた上に生産・運用・維持コストが多額になるAH-56は、なんとキャンセルされてしまいました!
え、じゃあどうするの?AH-1が実績あるからそれでいいじゃない……とばかりに「保険」のはずのAH-1は「本命」に昇格し、日本の陸上自衛隊を含む世界各国で採用されるベストセラーに。
後継としてボーイング(開発当時はマグドネル・ダグラス)AH-64「アパッチ」が1980年代に開発されますが、米海兵隊などはむしろ小型のAH-1を好んでエンジンの双発化や複合素材多用による生残性向上、武装強化を繰り返しています。
現在の米海兵隊主力攻撃ヘリ、AH-1Zはまだ生産が続いており、AH-1も初飛行から50年以上活躍、生産の続く「名機」となりました。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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