- コラム
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菅野 直人
海軍の英雄といえば日本なら日本海海戦の東郷平八郎、世界的にはトラファルガー海戦のネルソン提督など何人もいますが、イギリス海軍でそのネルソン提督に次いで大きな功績を残した人物で知られるのがフィッシャー提督です。皆さんも知っているあんなフネやあんな艦種を生み出した人物ですが、それは何でしょう?
まだ木造帆船に、後ろからではなく砲口から砲弾を入れる前装式大砲を装備していたような19世紀半ばの1953年、1人の士官候補生が戦列艦カルカッタに配属されました。彼の名はジョン・アーバスノット・フィッシャー。
セイロン総督……の副官の息子で、特に裕福でも無い一家で生まれ、6歳の時に何があったのか、イングランドの母方の祖父の家に送られてそこで平穏に労働者か何かをするのかと思いきや、少年のうちから海軍に入ってしまったという人生の始まり。
当時としては珍しい話では無いのかもしれませんが、非凡な才能を示したのか約半世紀後の1905年には第一海軍卿、つまり「イギリス海軍で一番エライ男」にまで上り詰めたのであります。
上り詰める過程で既に多大な影響力を持っていたフィッシャー提督は、その過程で精強なグランド・フリートを建造するため、思い切った大改革を行いました。
大は旧式艦の廃止と強力な新造艦の配備から、小は水兵の食事の改善(それまでの水兵の環境は劣悪で、虫の湧いたビスケットなどが食事だった)までさまざまです。
中でも代表的なのが、全主砲の砲口径を統一し、その統一管制射撃で圧倒的な火力を行使する戦艦ドレッドノートの建造でした。そう、「超ド級」のド、ドレッドノートの生みの親というわけです。
同様のコンセプトは日本も含む各国で研究され、アメリカ海軍などサウスカロライナ級戦艦を完成させる直前でしたが、ドレッドノートが先に完成したことでフィッシャー提督は世界の海軍史にその名を残しました。
しかし、彼の海軍史への足跡はそれだけではないのです。
19世紀末期、小型艦でも命中すれば大型艦にさえ大打撃、当たり所や命中数によっては撃沈すら可能な魚型水雷、すなわち「魚雷」が開発されたことで、世界の海軍国は頭を悩まさせることになりました。
どれだけ強力な戦艦や巡洋艦があろうとも、魚雷を搭載して高速で向かってくる小型艦「水雷艇」に仕留められる可能性があっては、どうも割に合いません。
そこで、その当時は艦船や設備供給の責任者である第三海軍卿にまで出世していたフィッシャー提督は、ポーツマスの造船所を監督して水雷艇を排除して戦艦などが心置きなく戦えるようにする新種の軍艦「水雷艇駆逐艦」を開発しました。
この水雷艇駆逐艦、水雷艇を排除するための武装と軽快性を兼ね備えた使い勝手の良い小型艦艇だったもので防御に使うだけではもったいない話で、自らも魚雷を搭載して大型水雷艇としても使われます。
敵の水雷艇駆逐艦を自力で排除しつつ、自ら魚雷で攻撃するようになると「駆逐艦」と名を変え、とにかく大型艦から小型艦、後には潜水艦や航空機までを駆逐する役割を与えられるのでした。
21世紀の現在、他の艦種が廃止されても「駆逐艦」は使い勝手の良い戦闘艦艇の代表選手として多くの海軍で生き残っていますが、その元祖を作ったのもフィッシャー提督だったのです。
By 不明 – http://www.history.navy.mil/photos/sh-fornv/uk/uksh-f/furis-6.htm, パブリック・ドメイン, Link
こうして士官候補生から半世紀かけて第一海軍卿に上り詰める中で数々の功績を為したフィッシャー提督ですが、成功した改革ばかりとは限りません。
1910年に一度引退して後、第1次世界大戦の勃発で第一海軍卿に復帰したフィッシャー提督は、ドイツ第2帝国にやや有利だった戦局を一気に挽回すべく、大バクチ作戦を提案します。
それが強大なグランド・フリート全力でドイツのフトコロであるバルト海へ侵攻、ドイツ大洋艦隊を撃滅して大兵力を上陸させ、一気に戦争を終わらせてしまおうという壮大な計画です。
水深の浅いバルト海でも巨砲による艦砲射撃で上陸部隊を掩護できるよう、小型軽防御高速戦艦、あるいは高速モニター(砲艦)というか迷うような「ハッシュ・ハッシュ・クルーザー」と呼ばれる巨砲を搭載した大型軽巡洋艦を計画。
これは3隻が実際に建造され、2隻(グローリアス、カレイジャス)は最新鋭戦艦と同じ38.1cm連装砲塔2基4門、最後の1隻(フューリアス)は何と後の大和級戦艦に匹敵する45.7cm単装砲2基2門を搭載する化け物じみた「軽巡洋艦」です。
しかし、あまりにも大バクチすぎるバルト海侵攻作戦はボツになり、そうなると「化け物軽巡」は何も使い道が無いので持て余した挙句、完成間近のフューリアスを実験的に世界初の空母(航空母艦)に改装。
洋上航空兵力の元祖になるとともに、後には3隻全てが空母に改装されて第2次世界大戦まで活躍しましたが、これはフィッシャー提督の功績というより「やり過ぎ軍艦の廃物利用」に過ぎませんでした。
By Photographer not identified – パブリック・ドメイン,Link
駆逐艦とともに、後に駆逐艦を天敵とする潜水艦の開発と配備にも大きな貢献を果たしたフィッシャー提督でしたが、基本的には大艦巨砲主義者でどんなフネにも大砲を積まずにおれなかったようです。
先の「化け物軽巡」だけでなく、潜水艦にも戦艦と同クラスの巨砲を搭載した「潜水戦艦」あるいは「潜水モニター」というべき潜水艦「M級」を計画させました。
建造が始まった頃にはフィッシャー提督は既にガリポリ上陸作戦の失敗に関わる責任を巡ってチャーチル海相(後に首相として第2次世界大戦時に活躍)と大喧嘩の末辞任していましたが、M級潜水艦4隻は予定通り1916年より4隻が建造開始。
1隻は未完成でしたが3隻が就役、ド級戦艦まで各国で戦艦用主砲として使われた30.5cm砲を1門搭載し、まだ潜航技術が未熟で非常時以外は潜航せず、基本的に水上戦闘で魚雷や大砲を撃ち商船などを沈めていた潜水艦としては、非常に強力な武装…のはずでした。
しかし、あまりの巨砲で主砲をほとんど旋回させられず、使いにくいことこの上無いので2番艦M2は水上機搭載艦へ、3番艦M3は機雷敷設潜水艦へと改装、主砲を撤去してしまいます。
残る1番艦M1は引き続き巨砲潜水艦として残りましたが、戦争があったわけでもない1925年に商船との衝突事故で主砲から大浸水してあえなく沈没。
結局、「潜水戦艦」は何の役にも立たないどころか、最後は寿命を縮める結果になったのでした。
By Official RN photographer –
, パブリック・ドメイン, Link
本海戦で爆沈したイギリス巡洋戦艦「インヴィンシブル」
こうして失敗例を並べると「フィッシャー提督の奇妙な艦隊」のように思えてきますが、実はそのクライマックスは1916年、史上最大、戦艦同士の艦隊決戦「ユトランド沖海戦」で起きました。
この海戦で主に活躍したのは高速を活かして常に敵をけん制するような艦隊運動が可能な巡洋戦艦隊でしたが、ドイツのそれが多数の命中弾を受けてもなかなか沈まず生還するなど評価を高めたのに対し、イギリスのそれは次々に爆発沈没、つまり轟沈したのです。
この巡洋戦艦、「格下の敵には火力で圧倒し、薄い装甲の代わりに得た高速を活かして有力な敵からは逃げる」というコンセプトで、これも実はフィッシャー提督の考案です。
それらがドイツ巡洋戦艦隊との交戦で次々に爆沈したのですから、巡洋戦艦の元祖イギリスとしてはまさに面目丸つぶれもいいところでした。
原因は戦闘中にも関わらず、砲弾の装填を容易にするため弾薬庫への扉を開けて作業をしていたため、命中弾による衝撃と火炎がモロに弾薬庫に飛び込んで大量の弾薬を一気に誘爆させたため、とも言われます。
しかし、根本的には射撃管制装置の発達で過去には無かった遠距離砲戦が発生した結果、敵弾が水平ではなく頭上から落下してくるようになり、そのような命中弾を想定していなかった薄い装甲を容易に貫通されるという、水平装甲防御の不備でした。
しかも、その巡洋戦艦の装甲が元々薄いと言っても垂直装甲の話で、水平装甲が薄いのは重防御の戦艦でも同じだったので、戦艦を保有している各国では大問題になったのです。
これは技術の進歩がもたらした変化であり、フィッシャー提督の責任とばかりは言えませんが、フィッシャー提督の考案した巡洋戦艦が「張り子の虎」だったのは否定できませんでした。
しかし、第1次世界大戦後の戦艦はその教訓を生かした高速重防御の「高速戦艦」の時代へ移行し、結果的にはフィッシャー提督のコンセプトをさらに突き詰めたものとなります。
時には「奇妙な艦隊」も生み出したフィッシャー提督でしたが、大英帝国のグランド・フリートを近代化された先鋭的な戦闘集団へと改革した功績は大きく評価されています。
今でも、トラファルガー海戦(1805年)でフランス・スペイン連合艦隊を撃滅したネルソン提督に次ぐ人物、「近代イギリス海軍の父」として高い評価を受け続けているのでありました。
あまりにも大胆に改革を進めたので、中には失敗作もある……ものの、プライドとユーモアが信条のイギリス人ですから、あるいは失敗と認めないかもしれませんが。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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