- コラム
オスプレイは危険な飛行機か? 軍用ティルトローター/ティルトウイング機の歴史
2017/01/20
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/10/6
菅野 直人
ミリオタなら「海の力の象徴」として、たとえ時代遅れでも空母に勝てなくてもいつでも魂を揺さぶられるのが「戦艦」。巨大な砲塔を旋回させ砲身を振り上げ、猛烈な爆炎ととも巨弾を放つ! 衝撃以外の何ものでもありませんよね。そんな戦艦がたどり着いた終着点、「スーパー・ドレッドノート」こと超弩級戦艦から5クラスをベストチョイス!
By 不明 – here, specifically here, パブリック・ドメイン, Link
フランス海軍最後の戦艦にして、主砲を主兵装とした旧時代的な意味で最後まで現役にあった戦艦。4隻が計画され第2次世界大戦開戦時には3隻が建造中でしたが、フランスがドイツの侵攻で屈服した1940年6月、工事が進まずドックから出ていなかった3番艦クレマンソーを除く未完成の2隻がフランスを脱出しました。
主兵装や機関が完成していた1番艦リシュリュー、一部のみ完成して限定的な戦闘が可能だった2番艦ジャン・バールともにドイツへの接収を恐れた昨日までの味方、連合軍艦隊から猛烈な攻撃を受けて応戦。
「祖国は降伏し孤立無援、しかも未完成でありながら勇敢に戦った戦艦」として世界の海戦史・海軍史に劇的なエピソードを残します。
その後は自由フランス海軍に加わりリシュリューはアメリカで完成、連合軍側で戦い太平洋戦線にも参戦しました。ジャン・バールは戦後フランスに帰還して工事を再開し1949年に完成、「世界で最後に就役した戦艦」として地中海艦隊の旗艦となり、1956年の第二次中東戦争にも参加。
1957年まで現役にあり、砲術練習艦を経て1961年に除籍されました。
By 不明 – http://www.gc2-4.org/forum/viewtopic.php?t=2197&sid=111174c1d33cc097281fbb0afa147446. This photo is part of the Japanese Self Defense Force Archives.[2] A copy of this photo was seized by the US forces and is now part of the Naval History and Heritage Command’s collection here (Photo #: 80-G-704702)., パブリック・ドメイン, Link
太平洋戦争開戦とほぼ同時に現れ、最後は日本海軍の終焉を象徴するため、沈むのを承知で出撃した世界最大の戦艦。
主砲の46cm砲は戦艦用主砲としては最大最強の威力を誇ったものの、敵戦艦に対して火を噴くことは一度も無く、参加したほぼ全ての戦いが対空戦。
常に厳しかった日本海軍の燃料事情の中で積極的な出撃もできぬまま、艦隊旗艦として、あるいは他艦に燃料を給油したり部品を製作供給する工作艦として、「艦隊母艦」のような役割を果たします。
1944年6月のマリアナ沖海戦からようやく積極的に出撃するものの、同年10月のシブヤン海海戦で米空母部隊の猛烈な攻撃を受けた2番艦武蔵が撃沈。1番艦大和はサマール島沖海戦で米護衛空母部隊へ生涯唯一の砲戦を挑む機会を得ましたが、その後日本に帰還。
他の残存戦艦(長門・伊勢・日向・榛名)が特別警備艦という名の砲台となり出撃を断念する中、1945年3月の呉軍港空襲では出撃で全速で対空戦闘を行うなど最後の決戦に向けた稼働状態を保ちます。
しかし、1945年4月の沖縄戦開始によって急きょ出撃が決定、敵の圧倒的制空権・制海権の中で絶対にたどり着けないことを知りながら、「敵の攻撃を排除しつつ沖縄に突入、海岸に乗り上げて最後まで戦え」との命令を受け、大和は祖国へ別れを告げました。
By Surgeon Oscar Parkes –
This is photograph SP 1938 from the collections of the Imperial War Museums (collection no. 1900-01)
, パブリック・ドメイン, Link
常に海軍力を競った南米ABC3国(アルゼンチン・ブラジル・チリ)で唯一の超弩級戦艦。
1911年にチリからイギリスに2隻が発注されたものの、1914年に第1次世界大戦が勃発したため2隻ともイギリスが購入、1番艦は戦艦カナダとして1915年に、2番艦は空母イーグルとして1923年にイギリス海軍で就役。第1次世界大戦後に戦艦カナダはチリに売却され、戦艦アルミランテ・ラトーレとしてチリ海軍へ再就役しました。
14インチ(35.6cm)連装主砲塔5基10門を持つ有力な戦艦で、ブラジルとアルゼンチンが各2隻保有していた12インチ(30.5cm)砲搭載の弩級戦艦とバランスを取り、チリ海軍の象徴として1958年まで現役。
最後は日本に回航されて解体されましたが、その際に同じイギリスで建造された記念艦「三笠」が修復中で流用可能な部品があったため、今でも三笠の一部にアルミランテ・ラトーレの部品が生きています。
By Seaman of Royal Navy – http://www.warship.get.net.pl/WBrytania/Battleships/1946_Vanguard_class/Vanguard_36.jpg, パブリック・ドメイン, Link
キングジョージV世級戦艦の欠点を改良した高速戦艦であり、イギリス海軍最後の超弩級戦艦として1946年に就役。
同海軍の高速戦艦不足を補うため緊急計画で建造され、主砲は旧式の15インチ(38.1cm)砲の砲身が用いられましたが、砲塔は新設計されたため1級の戦闘力を持つとされていました。完成したのが第2次大戦後のため結果的に戦争のため出撃することはなく、長らく英国海軍旗艦、あるいはイギリス王室の御召艦として使われた後、1956年に練習戦艦へ降格。
1960年には映画でかつての英海軍の仇敵・ドイツ戦艦ビスマルク役を演じたのを最後に除籍解体されました。
By PH1 Jeff Hilton – http://www.dodmedia.osd.mil (original source, no longer exists), パブリック・ドメイン, Link
軍縮条約を脱退して大戦艦を建造することが予想された日本海軍に対抗し、アメリカが文字通り「量産」した高速戦艦群の最後のクラス。新型の16インチ(40.6cm)砲は長砲身化や砲弾の改良で大和級戦艦の46cm砲に匹敵する威力を持っていたとも言われ、「大和級とアイオワ級、戦えばどちらが強かったか?」という最強論議は常に白熱します。
実際には最高速力33ノットと世界戦艦史上最速を活かして空母機動部隊の旗艦、あるいは護衛として第2次世界大戦を戦い、就役した4隻(他に建造中止2隻)全てが大きな損害も無く生き残りました。
しかしアイオワ級戦艦がその真価を発揮したのはその後。最新鋭の超高速戦艦として戦後も活躍を見込まれ退役せず練習艦や予備役任務にとどまり、朝鮮戦争では4隻揃って現役復帰し上陸作戦などで艦砲射撃に従事。ベトナム戦争にもニュージャージーが沿岸での火力支援のため復帰します。
そしてアイオワ級戦艦が再びその真価を発揮したのは、1980年代に就任したレーガン大統領の「600隻艦隊構想」。
ソ連をはじめとする東側諸国に海上で圧倒的優位を保つべくアイオワ級戦艦4隻は全てトマホーク巡航ミサイルやレーダー管制迎撃機関砲CIWSを装備して復帰。新時代の「重装甲で容易に沈まず、大火力と巡航ミサイルで圧倒的な攻撃力を誇るミサイル戦艦」として、アメリカの威容を見せつけます。
この時期には主砲射撃のデモンストレーションはマスコミにも積極的に公開されたため「戦艦」のイメージを一般大衆にも強く見せつけ、「タフな老兵」として映画「バトルシップ」での活躍にも繋がりました。
湾岸戦争後の1990年代はじめ、冷戦終結で役目を終えたと判断され相次いで退役しますが、2017年現在に入ってトランプ政権下で海軍力拡充のための旧式艦艇復帰が取りざたされています。
全艦記念艦とはいえ、まだ洋上にあるアイオワ級の現役復帰も「可能性は少ないながらも、ゼロでは無い」と言われており、未だ戦艦が無視できない存在ということでしょう。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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