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2017/10/4

菅野 直人

幻の空中艦隊! 日本で計画された超重爆撃機5選

4発以上の重爆撃機はアメリカやイギリスの専売特許じゃない! 日本だって! 日本にだって! 夢はあったんです……実際に飛んだものから計画機も含め、「幻の日の丸空中艦隊」を彩る5機をご紹介します。

陸軍九二式重爆撃機(三菱)

九二式重爆撃機(キ20)
By Imperial Japanese Army – http://www.geocities.com/hjunkers/ju_g38_a1.htm, パブリック・ドメイン, Link

戦前の日本では海軍は対米戦ばかり、陸軍は対ソ戦や対中国戦ばかり考えていたようなイメージですが、いえいえそんなことはありませんという反証が、九二式重爆撃機。

フィリピンのコレヒドール要塞に台湾から飛んで行って1トン爆弾を降らせようという壮大な計画でしたから、陸軍も真面目に対米戦やる気が無かったわけじゃないんですね。

しかし1920年代末に計画して1930年代に実用化しよう、となると当時の日本にはそんな飛行機の技術は無く、三菱はドイツのユンカース社が開発した巨人旅客機G38の爆撃機版、K51の生産権(ライセンス)を取得し、三菱重工でライセンス生産することにします。ちなみにジブリアニメ映画「風立ちぬ」で、主人公の堀越二郎含む三菱技術陣がドイツで乗っていた巨人機がG38です。

1931年に生産開始するものの、第1次世界大戦から全金属製攻撃機だのを作っていたユンカースとは違い、経験の浅い三菱では図面をもらった上にユンカースの技術者に来日して指導してもらっても、全く生産が進みません。

結局6機だけ作ったものの最高速度200km/hでは1940年代はおろか、1930年代後半の日中戦争ですら出せる代物では無く、単にイベント時に飛ばして「こんなでかい飛行機が日本にもあるのだ!」と国民にアピールするだけで終わりました。

全幅や翼面積ではB29よりでかいと言われても、ただそれだけの飛行機であり、その後の三菱で大型機や全金属製機のノウハウ蓄積に貢献……と言われても、三菱の大型機って何かありましたっけ?

せいぜい双発重爆クラス(九六陸攻、一式陸攻、九七重爆、四式重爆)くらいにして、それ以上は手を付けないようにしようという教訓だけのような?

海軍十三試大型陸上攻撃機「深山(しんざん)」(中島)

G5N.jpg
By 不明 – R. J. Francillon. Japanese aircraft of the Pacific War. — Putnam & Company Ltd, 1970. — ISBN 0-37000-033-1, パブリック・ドメイン, Link

九六式陸上攻撃機の目途がつき、陸上基地からの洋上哨戒 / 攻撃機にそれなりの自信を持てるようになった海軍は、もうワンステップ上の大型陸上攻撃機を欲しがるようになります。

そこでアメリカでなぜか不採用のままくすぶっていたダグラスDC-4E旅客機を売る話が飛び込み、喜び勇んで購入(一応、名義は大日本航空)したのが1937年。翌1938年には中島にDC-4Eを参考として陸上攻撃機化した「十三試大型陸上攻撃機」を開発するよう命じます。

平たく言えば、アメリカの大型機をパクって大型機を作っちゃえということですね。どこの国でも技術的に未熟な時代はやること同じで、日本も例外じゃないということです。

しかし問題はこのDC-4Eで、そもそもマトモな飛行機であれば普通に採用されているところ、試作のまま放り出して極東に売り飛ばされてきたものですから、元からロクな機体じゃありません

構造複雑、重量超過、整備性劣悪、経済性最悪と、そんなものを国産化したところでマトモな飛行機になるはずもなく、おまけに国産大馬力エンジンは三菱の「火星」では出力不足、本命の中島「護」搭載型(深山改)は信頼性不良に予定の馬力が出ない。

重量増加に出力不足で運動性も劣悪ですから魚雷積んで雷撃などもってのほかで、1941年から1943年まで試作機6機を作ってテストしたところで不採用になります。

2機の深山は後述の連山の参考として試験を続けましたが、4機の深山改は輸送機に改造され、その方面ではそこそこ使い物に……なれば良かったのですが、最後まで整備性の悪さに悩まされ、1944年以降は地上訓練教材として放置されたそうです。

海軍十八試大型陸上攻撃機「連山(れんざん)」(中島)

Nakajima G8N war booty.jpg
By 不明http://www.flickr.com/photos/sdasmarchives/7586031302/in/set-72157630610709398, パブリック・ドメイン, Link

深山がどうやらモノにならなそうだと海軍もあきらめ始めた1942年、次の大型陸上攻撃機開発が再び中島飛行機に内示されます。1943年には正式に十八試大型陸上攻撃機として開発命令が出たので、深山を参考にしつつ、それよりスリムで堅実、でも新技術はキチンと盛り込み、捕獲したB-17も参考にして高性能になりそうな新型機開発が始まりました。

1944年10月には試作1号機が初飛行し、アレコレと初期トラブルはあったものの、改善していけば高性能を期待できそうに思えたのです。しかし、そもそも連山のような大型機を扱える滑走路や設備を持つ飛行場は少ないので、空襲を逃れて疎開したり不具合の改修、空襲による試作機の損失などでマトモな試験などできる環境にありませんでした

そもそもこんな大型機を量産して大型魚雷で米艦隊攻撃などやるような時代でも無くなっていましたから、1945年6月には連山の試作計画は中止されてしまいます。

終戦時はどうにか完成していた4機の試作機をまとめたヨンコイチの「連山」を米本土に移送して一応飛ばしてみましたが、そこでもエンジンがマトモに動かず、結局どんな性能だったかよくわからないままスクラップになってしまいました。

陸軍試作長距離爆撃機 キ91(川崎)

前述の深山は陸軍でも採用を検討しており、キ85という機体ナンバーまで与えられていましたが、海軍が性能劣悪で放り出した機体を陸軍が採用するわけも無く、1943年に海軍での採用中止と同時にキ85も中止となります

同時に川崎に長距離超重爆撃機キ91の開発計画が指示され、何かと仕事の早いことで有名な名設計者・土井武夫率いる川崎設計陣は経験の無い巨人機ながら1944年4月にはモックアップ(実物大模型)を完成させました。

後述の「富嶽」と異なり堅実なエンジン4発機、最高速度580km/h以上と性能的にも富嶽ほど尖ったものは狙っていませんでしたが、試作1号機の完成予定が1946年、2号機は1947年完成予定では、もはや真面目に計画していたとは思えない状況です。

もちろん1945年2月にキ91の計画は中止されましたが、試作機の製造名目? で集積された物資や、この時点で完成していた岐阜の製造工場は戦後の民生転用で大いに役立ちました

案外、戦争の先が見えていた川崎では、荒唐無稽な巨人機開発計画を利用して、戦後のことを見据えて計画に乗ったふりをしていただけかもしれません。

陸海軍共同長距離爆撃機計画「富嶽(ふがく)」(中島)

日本の航空界史上最大最強の「幻」として有名かつ大人気の「富嶽」ですが、実のところ多くの人が富嶽として理解している「エンジン六発の巨人機」は、中島飛行機の創設者、中島知久平個人の構想による「Z飛行機」のことで、現実の富嶽とは異なります。というより、「富嶽なる飛行機」は結局存在しない文字通りの幻と言った方がいいかもしれません。

Z飛行機そのものは、「僕の考えた最強の飛行機をたくさん作り、たくさん爆弾を積んで敵地を大爆撃! たくさん魚雷を積んだ空中艦隊で敵艦隊を撃滅! たくさん機銃を積んで敵機も撃滅!」という、一言で言えば荒唐無稽な計画以前の妄想でした。

しかし、戦局が不利になった1943年5月、中島知久平は「こんな妄想でも実現しないと戦争に勝つなんて無理!」と、その構想というか妄想の実現を訴えます。

あるいは、そんな妄想以外で勝てないと説くことで、案外終戦工作の一環だったのかもしれませんが、それが本当に陸海軍共同での長距離爆撃機として、正式な計画になってしまったので大変!

そこから「妄想はともかく、現実的に何が作れるか詰めよう」ということになりますが、陸海軍が異なる要求で揉めまくり、中島本社ですら「こんなの無理」と反対論が出る始末で、陸軍など裏で黙って前述のキ91を川崎に開発させていたほどです。

それでも構想だけは進行し、最初の妄想があまりにひどかったせいで日本では珍しく「現実味」に向かって具体案が作られ、その中には有名な5,000馬力級エンジン六発機案から、3,000馬力級エンジン四発機案までありました。

しかし1944年7月、結局具体的に何を作るかも決まらないまま、多数の案だけを残して富嶽は中止になります

当たり前と言えば当たり前の結末ですが、一個人の妄想は結局ただの「幻」として終わったがゆえに、当初のZ飛行機が「富嶽」として有名になってしまいました

2017年5月、富嶽に多数の機銃を取り付けた「掃射機型」の図面が発見されましたがそれは四発機で、数ある富嶽の案の1つが見つかったに過ぎません。しかし、具体化しなかったからこそ、富嶽は「幻の最強六発巨人爆撃機による空中艦隊」として、今も日本人の心の中を飛び続けています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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