- コラム
日本海軍航空隊・対艦攻撃のプロBEST5
2017/07/22
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/10/2
菅野 直人
かつて「巨人機」と言えば大抵は超重爆撃機。爆弾搭載量を増やしたり、航続距離を延ばしたり、あるいは特殊な大型爆弾や小型化される前の核爆弾を搭載するために巨大化していったものでした。
そうした超重爆撃機の中には計画で終わったものも多いのですが、少なくとも実機が飛行したものから5機をチョイスしてみました。
By 不明 – http://fandavion.free.fr/sikorsky-images.htm, パブリック・ドメイン, Link
世界初の4発重爆撃機で、第1次世界大戦前に旅客機として開発されましたが、大戦勃発とともに爆撃機として再設計。第1次世界大戦の初期にはまだ飛行機が戦争で使えるかどうか何とも曖昧だったというのに、この頃のロシアたるや随分先進的だったのですね。
最高速度が120~130km/hと、飛ぶというよりフワフワ浮いてるような飛行機だったようですが、それでも爆弾搭載量最大800kg、防御機銃9丁と言いますから第2次世界大戦初期の重爆撃機とそう変わらず、バカにはできません。さすがに戦闘機が発達するとあまりの低速で使いにくそうですが、意外にも空中戦で撃墜されたのは1機だけです。
1917年にロシア革命が起こると各勢力に接収されて引き続き使われますが、設計者はアメリカに亡命してしまったため、イリヤ・ムーロメツの好景気は発展しませんでした。ちなみにその設計者の名はイーゴリ・シコールスキイ。そう、ヘリコプターの開発で有名なあのシコルスキー社の創設者です。
By assumed British Government –
This is photograph CH 15687 from the collections of the Imperial War Museums.
, パブリック・ドメイン, Link
大西洋を横断してアメリカを直接爆撃可能な……と言うと日本の「富嶽」と似ていますが、ドイツ版富嶽であるユンカースJu390の違うところは実際に機体が完成して飛行し、限定的ながら実戦投入も行われたと言われていること。
6基のエンジンを搭載しB-29などより一回り大きかったJu390は性能良好で爆撃機のほか哨戒機や輸送機としても使われる予定でしたが、戦況悪化でこのような爆撃機を作っている場合では無くなり、1944年6月(ノルマンディー上陸作戦が行われた月ですね)にキャンセル。
ミステリアスなのは2機作られた試作機の1号機(Ju390 V1)が1944年はじめにニューヨーク近くまで大西洋横断偵察飛行を行ったと言われていること。
戦後の調査で「機体の性能から見てありえない」と否定する説が有力になりましたが、Ju390 V1は当時まだ実用化されていなかった空中給油のテストにも使われていました。空中給油を受けながらであれば、当然無着陸での大西洋横断往復飛行は可能なため、完全に否定はできないとする説もあります。
By U.S. Air Force photo – http://www.af.mil/News/Photos.aspx?igphoto=2000594578, パブリック・ドメイン, Link
第2次世界大戦中に開発開始され、戦後B-29や改良型B-50の後継として米戦略爆撃機の主力となった超重爆撃機。10,000ポンド(4.53t)の爆弾を搭載し、10,000マイル(16,093km)の航続距離を持つ「10-10ボマー」として開発された結果、並べるとB-29が子供に見えるような巨人機となります。
そのため第2次世界大戦中の代表的な超重爆撃機だったB-29が戦後は中型爆撃機に分類され直すほどでしたが、あまりに巨大なので3,800馬力級エンジン6基でも十分では無く、実用型ではさらにジェットエンジン4基が追加されたほどです。
あまりに巨大なので護衛戦闘機を積めるのではと、B-36の爆弾層に搭載可能なマグダネルXF-85ゴブリンが試作されたり(失敗作)、偵察機リパブリックGRF-84Fサンダーストリークを搭載(親子偵察機型GRB-36D)したこともありました。
原子力推進のテスト用に実験用原子炉を搭載したNB-36Hもありましたが、墜落すると大惨事になるため、墜落現場封鎖用に空挺1個大隊を輸送機で随伴させる必要があるなど実用性が無く、計画は早々に放棄されています。
爆撃機としてのB-36そのものがジェット戦略爆撃機の登場で早々に退役したため、巨体を活かした「変わり種」の方が有名かもしれません。
By U.S. Navy photoパブリック・ドメイン, Link
ジェット戦略爆撃機の決定版というべきB-52が初飛行したのは1952年で、1962年に最終型のB-52Hが生産終了してから2017年現在で55年も経過していますが、まだまだ現役。
それどころか電子装備などのアップデートにより最新兵器の運用が可能で、長大な航続距離と、8基のジェットエンジンによる膨大な搭載力を活かし、世界中の戦場で長時間滞空、連絡を受ければ対空兵器の射程外から一方的に攻撃可能。
そのため旧式兵器どころか貴重な長距離攻撃戦力、しかも後継機の超音速爆撃機B-1やステルス爆撃機B-2より低コストで運用できるので、今後も少なくとも30年近くは運用予定です。
核爆撃機として開発されたものの、実際にはベトナム戦争での通常爆撃作戦や現在も使われている精密誘導兵器による作戦が多く、今や核攻撃のためというより、それ以外のあらゆる作戦に投入され、アメリカの強大な力を誇示しています。
By Marina Lystseva – http://www.airliners.net/photo/Russia—Air/Tupolev-Tu-95MS/1328519/L/, GFDL 1.2, Link
奇しくもアメリカのライバル、B-52と同じ年に飛行し、同じように現在でも多数が運用されているソ連/ロシアの戦略爆撃機。
8基のジェットエンジンを持つB-52に対して4基のターボブロップエンジンを持つのが最大の違いで、最高速度925km/hと亜音速域に近い高速を誇る世界最速のプロペラ機でもあります。
B-52も偵察機型や電子戦型など特殊用途の派生型がありますが、Tu-95はそれ以外にも早期警戒機、対潜哨戒機、旅客機型まであり、B-52より広い範囲で使われているのが大きな違いです。
既に全機引退していますが、旅客機型のTu-116型は日本へもアエロフロートの定期便として羽田~ハバロフスク間などで運航されていたこともあり、軍用型Tu-95の「東京急行」(日本周辺での偵察飛行)とは異なり、堂々と日本の空を飛んでいました。
やはりB-52同様に信頼性や低コスト、大搭載力と長大な航続距離とのバランスが取れた名機であり、1990年代まで生産されているため、一応はあと30年程度と言われるB-52の寿命とは異なり、いつまで使われ続けるか見当もつきません。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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