- コラム
二水戦ハ再突入シ、旗艦ノ仇を討テ-先頭ハ雪風-コロンバンガラ島沖海戦顛末
2017/03/1
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/09/30
菅野 直人
皆さん船というとどんな船を思い浮かべますか? まずは美しいと思った船が真っ先に思い浮かぶのでは? そして次あたりに「あんな船もあったな」とギョットするような形の船を思うかべるかもしれません。目的に特化した船というのはそんなもので、軍艦でも同様。今回はそんな船の中から5隻ほど選んでみました。
By 不明 – http://www.dodmedia.osd.mil; VIRIN: DN-SC-89-11240, パブリック・ドメイン, Link
何か間延びした船体と上部構造部tの上にいくつかの太いアンテナマスト。そして先端の艦橋の上には白い巨大なドームが。一体これは何の船?と思えば、弾道ミサイルの追跡艦です。
米ソ冷戦の渦中にあって、ライバルであるアメリカの弾道ミサイル試験が行われる際に、その軌道を追跡して性能を分析するのを目的としています。アンテナの性能をフルに発揮することと、長期航海用に動力には原子力を使い、原子力大型艦や潜水艦、砕氷船を持つ旧ソ連 / ロシアの中でも最大の原子力艦です。
小林源文の漫画「レイド・オン・トーキョー(旧題TOKYO WARS)」ではその強力な電子線能力を活かして新潟沖から一帯に強力な電波妨害をかける重要な役割を果たしていましたが、実際の能力はあくまで偵察/監視・追跡がメイン。
また、目立つ外観の割に目撃例が少なく秘密のヴェールに包まれていると言われていましたが、実際は機関や機器類の不調で行動できないことが多く、2001年には退役してしまいました。
By 不明 – NOWAK, Robert. Mały okręt wyrusza na wojnę (Japoński lotniskowiec Ryujo – Historia służby). Morze statki i okręty, December 2007, no. 12, Page 34. ISSN 1426-529X, パブリック・ドメイン, Link
旧日本海軍の新造空母第2号(改造空母赤城・加賀を含めれば4隻目の空母)。当初はワシントン条約の制限下で1万トン未満、搭載機数24機の軽空母として建造開始されましたが、続くロンドン条約などの影響で設計が改められ、搭載機を36機+予備機12機と倍増、格納庫も1段から2段に増設されました。
その結果、「本来2階建ての家を3階建てにしたような」無理やり感漂う外観になり、しかも中型空母並に12.7cm連装高角砲6基12門など強力な対空兵装もかさ上げした上部格納庫脇に設置されたため、重心が思い切り高くなってしまいます。
試運転で舵を切ったところ、転覆するような勢いで傾斜するなど最初から問題がありましたが、後に艦隊演習時に台風に巻き込まれた第4艦隊事件で損傷を受けたのを機に、武装を減らしたり船底にバラストを追加するなどして、どうにか辻褄を合わせました。
何とか空母として運用可能になった龍驤ですが、トップヘビーを何とかバランスを取っただけなので飛行甲板の延長工事などは不可能だったようです。
1942年8月の第2次ソロモン海戦で撃沈されるまで第一線で使われたものの、仮に生き残っても戦争後半以降の新型機を搭載して外洋を行動するのは難しく、同じく飛行甲板が小さかった鳳翔と同じく練習空母になるしか無かったでしょう。
By U.S. Navy – U.S. Navy photo [1] from Navsource.org, first uploaded in en-Wikipedia by en:User:TomD1939., パブリック・ドメイン, Link
もうこの見た目で出落ちの一発芸としか言いようの無い原子力ミサイル巡洋艦。
1961年に就役し、原子力空母エンタープライズの護衛艦として第1原子力任務部隊を編成しましたが、第2次大戦型巡洋艦の船体にミサイルなどの近代兵装を載せ、最後の仕上げにエンタープライズと同じような巨大箱型艦橋を載せたのは異様でした。
なお、この箱型構造物はフェーズドアレイ・レーダーと呼ばれる現在もイージス艦に使われているような平面式アンテナで、ロングビーチの時代はまだ技術が未熟でうまく作動しなかったので後にアンテナは撤去、意味不明な構造物のみ残ってしまいます。
イージスシステムを搭載する改装計画もありましたが、結局この異様な姿のまま1995年に退役しました。
By Photo: LA(Phot) Nicky Wilson/MOD, OGL, Link
45型駆逐艦、または1番艦の艦名からデアリング級とも呼ばれるイギリス海軍の駆逐艦で、2003年に就役開始。
いわばイギリス流イージス艦のようなミサイル駆逐艦で、初のイージス艦タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦(米)も異様な見た目でしたが、このデアリング級ときたら艦橋の上にステルス性を考慮した結果角錐体上のマスト。
その上、球状のレーダードームがクルクル回っているという奇妙というか滑稽というか間抜けな見かけで、奇妙奇天烈な兵器を作ることが多いイギリス軍が「またやってくれた」とミリタリーマニアの喝采を浴びました。
なお、このマスト、日本人からは「太陽の塔」とも言われていますが、理由は見ての通りです。決して「万博記念公園でデアリング級ごっこしようぜ!」などと言ってはいけません……面白いですが。
By 不明 – IJN archives; Kure Maritime Museum, (edited by Kazushige Todaka), Japanese Naval Warship Photo Album: Battleships and Battle Cruisers, p. 131, パブリック・ドメイン, Link
古今東西違法建築軍艦No.1と言えば、我が日本が誇る戦艦扶桑をおいて他に無いでしょう。
そもそも1915年(大正4年)に就役した時の前部マストは常識的な三脚マストで特に違和感は無かったのですが、その後にやれ指揮所だ測距儀だ航海艦橋だ見張所だと増設していくうちに、だいぶデコボコしてしまいました。
ここまでは当時の日本戦艦にはよくある話で、扶桑級2番艦「山城」とそう変わらなかったのですが、1930年から1933年に行われた第1次近代化改装が扶桑の運命を決めました。山城は従来のまま艦橋の後ろの第3砲塔が後ろ向きでしたが、扶桑だけが第3砲塔を煙突直前に移設して前向きにしたのです。
その結果、各種指揮所や艦橋が設けられた前檣楼(前部マスト)後下部に余裕が無くなり、ストレートに下まで伸びる山城に対し、扶桑は後下部が無く何かクネクネした前檣楼になってしまいました。
何か崩壊寸前のジェンガかダルマ落としのようになってしまいましたが、ともかく戦闘力に影響が無いということになり、実際このクネクネ前檣楼のせいで何か支障があったということは無かったようです。
ただ、後世になって「日本戦艦中、大和以上に何となくその姿を忘れられない、キモさNo1」の称号を得てしまい、何とか扶桑を活躍させたいというアマチュア仮想戦記作家の奮闘を呼ぶことになるのでした。
ちなみに史実の扶桑は太平洋戦争中、練習艦としての任務が多かった2番艦山城に対して、大和や武蔵とともにトラック環礁(日本海軍の重要基地)にあることが多かったようですが、当地の航空隊や艦艇にとってはいい目標になったことでしょう。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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