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2017/09/26

菅野 直人

ドレッドノート前夜! 前ド級・準ド級戦艦BEST5

1906年にイギリスで就役した、主砲火力の飛躍的増大と高速航行可能な革命的戦艦「ドレッドノート」を境に、同様のコンセプトを「ド級」またはそれ以上の「超ド級」と呼ぶように。それ以前の設計で建造された、あるいは建造中の戦艦は全て「前ド級戦艦」「準ド級戦艦」として旧式艦扱いされましたが、光るものがある戦艦は皆無では無かったのです。

5位:初の連装砲塔搭載・前ド級戦艦 マジェスティック級(イギリス)

HMAS Sydney (R17) (AWM 301423).jpg
By Australian War Memorial Collection, Number: 301423, パブリック・ドメイン, Link

後に日露戦争などで活躍する近代戦艦は、1892年から就役の始まったイギリス海軍のロイヤル・サブリン級をその原型とします。

ただし、この時点で34.3cm連想砲2基4門を搭載して近代戦艦のスタンダードを確立したとはいえ主砲自体は旧式かつ密閉されておらず、露出部分の多い「露砲塔」と呼ばれた形式。それを改善して新型の30.5cm連装砲塔2基4門を搭載し、ド級戦艦以前のスタンダードな武装を確立したのが、1895年より就役したマジェスティック級です。

初めて密閉式の連装主砲塔を搭載した戦艦で、同じくロイヤル・サブリン級を原型に、やや遅れて完成した日本の富士級戦艦(1897年就役)は、マジェスティック級の兄弟的存在。

古い戦艦とはいえ、ドレットノート以前の戦艦としての要素は持っていたので戦力価値はあり、第1次世界大戦にも参加できました。

4位:ド級戦艦並の快速と火力を誇った・準ド級戦艦「安芸」(日本)

Japanese battleship Aki.jpg
パブリック・ドメイン, Link

ド級戦艦以前に計画された、日本最後の戦艦「薩摩」級2番艦が安芸

それまでイギリスに発注していた戦艦を、薩摩級では初めて国産化。それほどの大型艦を日本で建造した経験は無かったため、1番艦「薩摩」が1906年に横須賀海軍造船所で進水する際には、船台からうまく進水式をできるものか在日外国人の間で賭けが行われたと言われています

横須賀で建造された薩摩とは別に安芸は呉海軍造船所で建造されましたが、初の国産戦艦のためか基本設計以外は各造船所に一任され、結果的に仕様がだいぶ異なる2隻が作られるという、一種の実験戦艦でもありました。

そのため安芸は薩摩より機関(動力)や主砲・中間砲以外の武装がかなり異なっており、機関と最高速力は薩摩の17,300馬力 / 18.3ノットに対して安芸は24,000馬力 / 20.0ノット。副砲は薩摩の12cm砲12門に対し、安芸は15.2cm砲8門。

特に安芸の速力は鞍馬級巡洋戦艦やドレッドノートにも匹敵するもので、主砲と中間砲が統一されたものであったなら、ド級艦並の戦闘力を持つところでした。

1911年の就役時には確かに準ド級艦として旧式化していましたが、6基12門搭載された中間砲の25.4cm連装砲が主砲以上の最大射程を持っていたため、その高速力を合わせ、実質的にド級戦艦並の戦闘力を持っています。

3位:ド級戦艦を除けば最強クラス・準ド級戦艦 ダントン級(フランス)

Dreanoughts Danton.jpg
パブリック・ドメイン, Link

安芸と同様1911年より就役、しかも6隻も建造されたのがフランス海軍のダントン級。安芸と同様高速大火力でド級艦並の性能を持つ準ド級戦艦で、最高速力19.25ノットは安芸よりやや遅くドレットノートより2ノット近く遅かったものの、実際の戦闘ではさほど気になる差ではありません。

主砲は安芸と同等30.5cm連装砲2基4門ですが、副砲を廃止して中間砲を強化し、電動化された24cm連装砲6基12門を持っていました。

主砲や中間砲の発射速度では安芸に優っており、最強クラスの準ド級戦艦と言えます。

2位:「ホワイト・フリート」旗艦として威容を見せた・準ド級戦艦 コネチカット級(アメリカ)

USS Connecticut BB-18
By Fred W. Kelseyhttps://www.history.navy.mil/our-collections/photography/us-navy-ships/battleships/connecticut-bb-18/NH-73318.html, パブリック・ドメイン, Link

1906年より就役を開始したアメリカ海軍のコネチカット級戦艦は、直後にドレットノートが登場したことで準ド級戦艦として旧式艦になってしまいましたが、20.3cm連装砲4基8門の中間砲も含めた戦闘力と19ノットの高速はド級戦艦に準じています。

その威容を見せつけたのは1907年に行われた、アメリカ大西洋艦隊による「グレート・ホワイト・フリート」で、戦隊を白く塗られた戦艦16隻を基幹とした大艦隊が14ヶ月にも及ぶ世界一周航海を行いました

途中、1908年10月には日本にも寄港し、出迎えた日本の主力艦16隻のうち戦艦が6隻だけだったのに対し、ホワイトフリートは16隻全てが戦艦。この瞬間、日本海軍の次なるライバルが決定づけられたと言えます。

当時の欧米メディアでは「ホワイトフリートは日本海軍を撃滅するために派遣された」などと書き立てられましたが、実際には出発直後に日本自身がホワイトフリートを「招待」したもので、来航する時には歓迎でお祭りムードでした。本当にアメリカ海軍が日本海軍を叩き潰すのは、その37年ほど後の話です。

1位:工作艦として太平洋戦争にも参戦・前ド級戦艦「朝日」(日本)

朝日
By 不明 – 呉市海事歴史科学館所蔵品 also published in 海人社日本戦艦史 2007年681号, パブリック・ドメイン, Link

最後に、前ド級戦艦の中でも役割を変えつつ長期現役だった艦を1隻。

日露戦争でもロシア・バルチック艦隊を撃滅した日本戦艦隊の1隻、朝日はワシントン軍縮条約で戦艦の保有数が制限される中、練習艦として、続けて当時保有数増加とともに事故が増えていた潜水艦の救難艦に改装され、現役を続けます。

1937年には工作艦に改装されて日中戦争のさなかに上海などで艦艇の現地修理に従事。太平洋戦争が始まると、ベトナムのカムラン湾やシンガポールに進出し、最新鋭工作艦「明石」とともに修理業務に従事し、老兵ながら南方作戦を支援しました。

しかし、1942年5月25日に米潜水艦の雷撃を受け、翌日未明に沈没、日露戦争で活躍した他の前ド級戦艦が航行できない記念艦や練習特務艦となっていた中では唯一、太平洋戦争まで実戦参加・撃沈されるまで活躍しています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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