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2017/09/18

菅野 直人

単葉機になんか負けない!最後の複葉戦闘機BEST5

1930年代後半から1940年代初期にかけては、第1次世界大戦から変わらないような上下2枚羽根の複葉戦闘機がまだまだ数多く使われていました。中には第2次大戦初期まで激戦を戦ったものまでありましたが、そうした末期の複葉戦闘機を5機選んでご紹介します。

5位:海軍九五式艦上戦闘機(日)

九五式艦上戦闘機 (空母龍驤所属機/撮影年・場所:昭和11年・鹿屋航空隊)
By 不明http://blog.goo.ne.jp/summer-ochibo/e/073f413211d571406ff3973eda070dc3, パブリック・ドメイン, Link

日本海軍の空母用艦上戦闘機と言えばまずは零戦(零式艦上戦闘機)、次に日本初の近代的単葉全金属戦闘機、九六艦戦(九六式艦上戦闘機)がメジャーどころです。

しかしこの九六艦戦が難産で、もっとも初期の原型機にあたる七試艦戦から、ジブリ映画の「風去りぬ」でも有名になった直接の原型、九試単戦(単座戦闘機)に至っても、なかなか実用化の目途がたちませんでした。そこで、それまでの主力機九〇式艦上戦闘機を大馬力エンジンに換装したマイナーチェンジ版として九五艦戦(九五式艦上戦闘機)を1936年に採用、日本海軍最後の複葉戦闘機になります。

ただし、九五艦戦そのものも変に力んで性能向上させようとしたおかげで多発した問題改善に手間取り、実戦配備になった頃には革新的な九六艦戦に目途がたってしまっていたのでした。

一応日中戦争の初期にちょっとだけ空母にも配備されて実戦も経験しましたが、あとは太平洋戦争時にも九六艦戦が余るまで練習戦闘機として使われてます。なお、ミリタリー系作品が多い漫画家、滝沢聖峰の「複葉艦戦隊」という短編(短編集に収録)で主役機として登場してますが、九五艦戦が主役の漫画なんてこれくらいかも。

4位:フィアットCR42(伊)

Fiat CR.42 aka J11.jpg
CC 表示-継承 3.0, Link

空中戦とアクロバット飛行の境目が曖昧、個人芸の格闘戦大好きというイタリア空軍都市伝説?の代表格としてしばしば登場するのがこのCR42複葉戦闘機

イタリアは日本と同じで航空機用大馬力エンジンをなかなか作れなかったもんで、こういう旋回性能一点張りのフワフワ飛ぶ複葉機でできるような空中戦じゃないと、なかなか勝ち目が無かったんだから仕方無し。

1940年のバトル・オブ・ブリテンにまで参加してイギリス空軍が驚いたことになってますが、当時のイギリス空軍も英本土以外じゃあまり人のことは言えなかったりします。なお、ドイツのダイムラー・ベンツ製高性能エンジンDB601をイタリアでも生産するようになってから、これに換装したCR42Bが最奥速度520km/h以上を記録!

こりゃ初期の零戦や一式戦闘機「隼」より速いじゃないですか…と言っても、同じエンジンで単葉戦闘機を作ればもっと高性能機になるのがわかってたので、さすがのイタリア人もCR42Bを量産しなかったのでした。

3位:陸軍九五式戦闘機(日)

九五式戦闘機一型
パブリック・ドメイン, Link

日本の戦闘機と言うと「とにかく格闘戦至上主義で速度性能軽視」だとか「高高度飛行のことなんて考えて無い」なんて言われますが、それは先入観からくる都市伝説。

実際には陸軍だと古くから軽戦闘機(九一式戦闘機)と重戦闘機(九二式戦闘機)の2系統が存在して、BMW系のエンジンを装備し高速で高高度飛行も可能な九二式戦闘機など対爆撃機戦闘向きと言われていました。その九二式戦闘機の後継が九五式戦闘機で、ノモンハン事件(1939年)では同じ複葉高速戦闘機のソ連製I-15戦闘機相手に圧倒しています。さすがに軽戦闘機並の軽快性と重戦闘機並の速度性能を持つ「中戦」、九七式戦闘機が登場すると交代しますが、エンジンをBMW系からCR42と同じくDB601に換装した九五式戦闘機III型まで作りました(試作のみ)。

2位:ポリカルポフI-15bis/I-153(ソ連)

I-15
By Hugh LlewelynPolikarpov I-15
Uploaded by Oxyman, CC 表示-継承 2.0, Link

第2次世界大戦前はソ連戦闘機設計の大御所であり、代名詞でもあったポリカルポフ設計局が作った複葉戦闘機の傑作I-15bisと、発展型で主脚を引き込めるようにしたのがI-153

ノモンハン事件では日本陸軍の九五式、九七式戦闘機に勝てませんでしたが、頑丈で重火力、爆弾やロケット弾の搭載量にも余裕があったので、1939年にフィンランドに侵攻した冬戦争やその後の継続戦争、1941年からの独ソ戦でも空戦から対地攻撃まで活躍。

ドイツ空軍機にも戦いを挑んでエースも生みましたが、さすがに最新鋭機が配備されるようになると第一線を退きます。なお、I-153にもエンジンをパワーアップして最高速度580km/hを狙った究極の複葉戦闘機I-195が計画されていましたが、どこの国でも複葉戦闘機には未練があったんですね。

1位:グロスター・シーグラディエーター(英)

Gloster Gladiator 1.jpg
By Kogo – photo taken by Kogo, CC 表示-継承 3.0, Link

ここで紹介した以外にもいくつか「最後の複葉戦闘機」がありますが、それらも含めて「最後の最後まで劇的に戦った複葉戦闘機」となると、イギリスのシーグラディエーターでしょう。

イギリス空軍最後の複葉戦闘機グラディエーターの艦上戦闘機版として開発され、第2次世界戦当時もイギリスの空母には高性能戦闘機など無かったので未だに現役でした。

何しろ戦闘機としても使われていた単葉艦上爆撃機、ブラックバーン・スクアなど最高速度362km/hでシーグラディエーター(414km/h)より遅かったんですから、複葉とはいえマシな部類だったのです。

とはいえシーハリケーンやマートレット(米海軍グラマンF4Fワイルドキャットのイギリス版)の配備でシーグラディエーターも余剰になってきたので、防空戦力が不足していた地中海のマルタ島に20機ほどが配備されました。
しかし、アレコレの事情で実際に稼働できたのは4機のみ、これで1940年6月に参戦してきて戦闘機や爆撃機を押し立てて空襲してきたイタリア空軍の編隊からマルタ島を守らねばならないから大変です。

かくしてバトル・オブ・ブリテン以上の多勢に無勢な戦いを強いられた4機のシーグラディエーターでしたが、標的を爆撃機に絞るなど戦法を工夫して大活躍し、新鋭のハリケーン戦闘機隊が到着するまでみごとマルタ島を守り抜いたのでした。複葉戦闘機最後の戦いとしてはCR42やI-153がその後も使われてますが、「複葉戦闘機最後の大勝利」と言えば、1940年6月のシーグラディエーターが最後でしょう。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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