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2017/09/16

菅野 直人

大艦巨砲主義でいいじゃない! 航行中に空襲で撃沈された、わずか5隻の戦艦

第2次世界大戦で海上戦力としてはもうアテにならない「航空機が相手では一方的に攻撃されるだけ」というイメージのある戦艦ですが、これがなかなかどうして、空襲で撃沈された戦艦というのは少ないものです。それが航行中であればなおさら。だからといって戦艦の価値が上がったわけではありませんが、数少ない空襲での撃沈例をご紹介しましょう。

巡洋戦艦 レパルス(イギリス)

レパルス(1922年から1924年頃)
パブリック・ドメイン, Link

戦闘航行中に航空機の攻撃のみで撃沈された、唯一の巡洋戦艦(※日本の比叡を巡洋戦艦と解釈しても、航空機単独での攻撃では撃沈されていない)。レナウン級巡洋戦艦の2番艦として1916年に就役した老嬢なので、「航行中に航空機に撃沈された、一番古い戦艦」とも言えるでしょう。

予算などの問題で第2次世界大戦前にレナウンほどの大改装は行われず、割と古めかしい姿で1941年末に東洋艦隊への増援として送られました。1941年12月10日のマレー沖海戦では、序盤こそ日本海軍陸上攻撃機(陸攻)隊の水平爆撃で250kg爆弾が命中したものの、その後は見事な回避運動で陸攻隊の魚雷をかわします。

しかし第2波攻撃で左舷魚雷1本が命中すると、その後立て続けに5本程度が左右に命中。
元々防御力の弱いレパルスはこれで力尽き、左舷に転覆沈没、史上初めて「航空機の攻撃だけで撃沈された戦艦」となりました。

戦艦 プリンス・オブ・ウェールズ(イギリス)

プリンス・オブ・ウェールズ
パブリック・ドメイン, Link

同じマレー沖海戦でレパルスを率いていた東洋艦隊旗艦、プリンス・オブ・ウェールズ(POW)もまた、同じ運命をたどりました。

1941年1月に就役したばかりの最新鋭艦で、数か月前にはドイツの戦艦ビスマルクと砲戦を交わし、その撃沈に貢献した1隻だったPOWですが、マレー沖海戦では陸攻隊に一方的に叩かれまくります。しかも最新鋭対空火器のはずの8連装40mmポムポム砲は故障ばかりで役に立たず、第1波攻撃で早くも魚雷1本が命中、左舷スクリューの推進軸が歪み、運転停止まで軸周辺を破壊して浸水を拡大する大損害

こうなれば前評判でいくら「不沈戦艦」と言われてもどうにもならず、第2波攻撃で魚雷4本が命中したPOWは航行不能になり、左舷に転覆して艦尾から沈没しました。もはや最新鋭戦艦でさえ、航空機で運搬可能な兵器で撃沈可能なことが、これで明らかになったのです

戦艦 ローマ(イタリア)

Italian battleship Roma (1940) starboard bow view.jpg
By unattributed, パブリック・ドメイン, Link

マレー沖海戦後、各国とも航空機の前に戦艦を無防備にさらすようなことが無くなったので戦艦の撃沈劇はなかなか起こらなかったのですが、1943年9月9日、思わぬ兵器が思わぬ形で戦艦を撃沈しました。

1942年6月に就役したばかりのイタリア海軍最新鋭戦艦ローマは、燃料不足で出撃もしないうちに連合軍の空襲で損傷しては修理を繰り返していましたが、9月8日にイタリアは単独で連合軍に降伏。イタリア海軍艦艇は、ドイツ軍による抑留を逃れ連合軍へ降伏するため、遁走します

しかし、昨日までの盟友イタリア海軍を逃すまいとドイツ空軍は遠慮無くイタリア海軍を攻撃してきました。その時、ローマを旗艦とするイタリア艦隊は「攻撃されたら反撃しても良い」と命令されていましたが、ドイツ空軍が思わぬ兵器で攻撃してきたため、反撃は手遅れとなります。

飛来した12機のドルニエDo217爆撃機は大型爆弾を投下しますが、何とその爆弾はただ落ちるのではなく、軌道を変えてイタリア艦隊に迫ったのです。それが新兵器・誘導爆弾フリッツX

まず戦艦イタリアが命中弾を受けて大破した後、ローマには3発のフリッツXが命中、弾薬庫に引火して爆発、真っ二つになって沈没してしまいます。ローマは「史上初の(そしておそらくは唯一の)誘導兵器で撃沈された戦艦」となりました。

戦艦 武蔵(日本)

1938 Japan Navy battleship.jpg
By 不明http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/1937.html, パブリック・ドメイン, Link

1944年ともなると「戦艦では航空機にかなわない」はもはや常識以前の問題でしたが、それでも同年6月のマリアナ沖海戦で日本が敗北、機動艦隊からマトモな戦力が失われてしまうと、日本海軍の抵抗戦力は事実上、戦艦を中心とした水上打撃部隊だけになってしまいます。

そこで同年10月に米軍によるフィリピン侵攻(レイテ戦)が始まると、艦載機をほとんど持たない機動艦隊が囮となって米機動部隊をひきつけ、その間に戦艦を中心とした部隊がレイレ湾に上陸した米上陸船団に突っ込む作戦が行われました。

しかし、米機動部隊には手近な目標から潰すほどの余裕があり、まず戦艦部隊(第1遊撃部隊・通称「栗田艦隊」)を叩いて撤退させるべく、猛烈な空襲をかけてきます。そこで集中攻撃を受けたのが最新最強の大和級戦艦2番艦「武蔵」です。

いかな航空機とはいえ戦艦を沈めるには大量の爆弾や魚雷を命中させる必要があり、しかも世界最高レベルの重防御を誇る大和級戦艦は、そう簡単に沈められません。だからこそ沈めた場合の精神的衝撃は強烈だとばかりに、米機動部隊からの攻撃隊は武蔵へ攻撃を集中。

あまりに多数の命中弾があったため推測になりますが、魚雷は20本以上、爆弾も多数が命中し、さすがの武蔵も戦闘が困難になりました。それでも沈まず6ノット以下の微速で艦隊を離脱、最悪でも座礁して沈没を防ごうとあがきましたが、最後は左舷に転覆し、力尽きています。

戦艦 大和(日本)

Yamato battleship under construction.jpg
By Kure Naval Base – http://www.gc2-4.org/forum/viewtopic.php?t=2197&sid=111174c1d33cc097281fbb0afa147446. This photo is part of the records in the Yamato Museum (PG071320). Search with the kanji characters of Yamato (大和) for the name (second field), and 昭和 for the period (last field). The photo can be seen at the US Naval Historical Center here (Photo #: NH 63433), courtesy of Shizuo Fukui., パブリック・ドメイン, Link

おそらく「戦艦」が水上を航行している限りは、史上最後の「航空機により撃沈された戦艦」となるであろう大和級戦艦ネームシップ(1番艦)。

数か月前に僚艦「武蔵」を失い、他の生き残り戦艦(長門、伊勢、日向、榛名)も燃料不足で浮き砲台以上の役割が果たせなくなった中、大和だけは最後の稼働戦艦として戦闘力を保持していました。

1945年3月の呉軍港空襲でも空母「龍鳳」とともに対空戦闘を行いながら全力で回避運動を行い命中弾を受けず(龍鳳は数発の爆弾を受けて大破)、その健在ぶりを示しましたが、翌月に沖縄戦が始まると「1億総玉砕の先駆けとして突入せよ」と沖縄特攻命令を受けます。

日本海軍最後の稼働戦力、第2艦隊(大和以下、軽巡洋艦1隻、駆逐艦8隻)は1945年4月6日夕刻に出撃。
翌7日昼12時34分より米機動部隊の攻撃隊による空襲開始。上空は雲量多く対空射撃には不向きな中、ほぼ一方的に多数の敵機から攻撃を受け、魚雷と爆弾が次々と命中

特に魚雷は左舷への命中が多く、浸水で左舷に徐々に傾斜していくも、最後の直前まで航行および戦闘を続行。
14時23分、左舷への転覆とほぼ同時に、おそらく主砲弾薬の誘爆による大爆発を起こして沈没。既に終わりは確定していたとはいえ、「戦艦の時代の最後」を飾る、壮烈な最後により、その名と戦いぶりを後世まで多くの人々に記憶させることになります

これを最後に、戦艦の任務は絶対的制空権下で行われる陸上への艦砲射撃くらいとなり、二度と戦艦が沈むことはありませんでした。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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