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2017/07/15

菅野 直人

本当に決行された奇想天外! 爆撃ミッション5選

「爆撃」という軍事行動は、ベトナム戦争時にケサンで包囲された米海兵隊ほど切羽詰まった行き当りばったりにならない限り、それなりの計画と作戦によって行われます。その中には目標が奇想天外だったり、その作戦そのものが奇想天外なことも。そうした爆撃ミッションを5つほど集めてみました。

ドーリットル空襲(第2次世界大戦1942年:目標・日本本土)

Army B-25 (Doolittle Raid).jpg
By U.S. Navy (photo 80-G-41196) – This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 520603.
パブリック・ドメイン, Link

空母から発艦するドーリットル隊所属のB-25
 
第2次世界大戦の太平洋戦線でついに日本と開戦に至ったものの、どうも旗色が悪かったアメリカ。このままでは軍だけではなく国民一般への士気にも影響するし、何か景気づけの作戦が必要さらにその結果として日本軍の最前線戦力を減らしたり、戦略に与えられば言うまでも無し。

そうして計画されたのが、1942年4月に決行されたドーリットル空襲です。

戦前から冒険飛行家としても有名だったジミー・ドーリットル中佐を指揮官に、陸軍の爆撃機で日本本土にとりあえず爆弾を落とそう! というものですが、その方法が奇想天外でした。

まずB-29など無い時代ですし、B-17やB-24はまだ数が足りない上に、日本本土を航続距離内に収められるところに基地などありません。

それなら空母から発進すればいいじゃない、だけど艦載機だと大した爆弾を積めないから一応は双発の爆撃機で、軽量化すれば何とか飛べるでしょう! でも着陸はどうするのか?中国大陸までは何とか飛べるだろうし、友軍(中国軍)がいるところまで何とか頑張って。

何か相当無茶苦茶な作戦に思えてきますが、とにかく空母ホーネットに16機のB-25双発爆撃機を積み込み、僚艦の空母エンタープライズで護衛して、どうにか発進させたのでした。

結果、爆撃効果として一番目立ったのは横須賀海軍工廠で空母「龍鳳」(旧潜水母艦「大鯨」から改造中)に命中弾を与えて火災を発生させたくらいでしたが、元々日本政府や軍の上層部にショックを与えるための作戦だったので、爆弾を落とせただけで大成功。

記者会見で作戦成功を発表したルーズベルト大統領は「爆撃機の発進場所は?」と聞かれて「シャングリラ(小説に登場する、ヒマラヤ奥地の架空の都)だよ」とおどけますが、それを元ネタとして本当にエセックス級空母「シャングリラ」が就役する(1944年)というオチがつきました。

ブラックバック作戦(フォークランド紛争1982年:目標・フォークランド諸島)

XM607 SIDE VIEW.JPG
By 英語版ウィキペディアJebediah springfieldさん – 自ら撮影, パブリック・ドメイン, Link

「XM607」ブラックバック作戦に参加した最初のバルカン爆撃機
 
国内情勢悪化による民衆のストレスを、外敵との戦争で発散しようとアルゼンチンが考えたのは1982年。
かねてから領土紛争を抱えていたイギリス領フォークランド諸島、アルゼンチン名マルビナス諸島奪還作戦を発動し、まんまと成功しました。

しかし時のイギリス首相は「鉄の女」と呼ばれ、ロナルド・レーガン米大統領とともにガチガチのタカ派だったマーガレット・サッチャーだったのがアルゼンチンにとっての不幸。
議会で演説した彼女はただちにイギリス海軍機動部隊を派遣するとともに、全軍をあげアルゼンチン軍をフォークランド諸島から叩き出すことを誓ったのでありました。

その後イギリス海軍が苦闘して最終的に勝つわけですが、空軍も手段がある以上、何もしないわけにはいきません。老朽化と予算縮小でだいぶ数を減らしていたとはいえ、戦略爆撃機アブロ バルカンはまだ数機が残っており、多数の空中給油機ヴィクター(元爆撃機)を駆使すれば、南大西洋上の孤島アセンション島から爆撃するのは不可能では無かったのです。

しかし、アメリカ軍の戦略爆撃機とは異なり、大陸間長距離爆撃まで想定した機体では無いのでバルカン、ヴィクターとも航続距離はそう長くありません。

そこで、ヴィクターへ給油するためのヴィクターへ給油するためのヴィクターにヴィクターが給油し……という、よほど慎重に図解しないとよくわからない空中給油スケジュールを組んでヴィクターを総動員し、バルカンを通常ではありえない遠隔地へ送り込みました。

何度か行われた爆撃行は成功したものもあれば失敗したものもありましたが、ブラックバック作戦そのものは「あのブリテンがまた妙な作戦をやらかした」と、英国面に落ちたファンからは未だにネタにされています。

ナイアガラ作戦(ベトナム戦争1968年・目標:ケサン基地周辺の北ベトナム軍)

US Navy 030415-F-7194F-015 A B-52 Stratofortress assigned to the 40th Expeditionary Bomb Squadron, loaded with 12 Joint Direct Attack Munitions (JDAM) heads toward Iraq with it's new mission directive.jpg
By U.S. Navy photo – この画像データはアメリカ合衆国海軍が ID 030415-F-7194F-015 で公開しているものです。
パブリック・ドメイン, Link

B-52 ストラトフォートレス

最近ではロールプレイングゲームなどで、パーティ総出で最強魔法などを使い多数の敵を一挙せん滅するのを「ナイアガラ作戦」と言ったりするようですが、その元ネタがコレ。

ベトナム戦争真っ盛りの1968年1月、圧倒的多数の北ベトナム正規軍に包囲されたケサン基地で米海兵隊は絶望的な状況に陥ります。

折しも北ベトナムによる大規模攻勢「テト攻勢」も始まり全戦線で激戦が展開されていたため増援も見込めず、約6,200名の米海兵隊員は約24,000名の北ベトナム兵により、その運命は極まったかに見えました。

しかしそこはアメリカ軍、損害を顧みず連日多数の輸送機をケサンに送り込んで物資弾薬の面で支援します。中でもコカコーラを積んだ輸送機が到着する時の米海兵隊員たるや、総員コマンドーかランボーにでもなったかのような人類史に残る激闘で北ベトナム軍を圧倒したと言われていますが、あいにくコカコーラを飲んでいるだけでは戦争に勝てません。

そこでついに業を煮やした米軍は戦略爆撃機B-52が大量の通常爆弾を搭載できることによる「できればやりたくないけど、やってしまえば圧倒的」な戦術を使います。すなわち、B-52とそれが抱えた爆弾を北ベトナム軍の頭上から大量に叩きつけ、問答無用で吹き飛ばすナイアガラ大瀑布のごとき「ナイアガラ作戦」

費用対効果も何も無い最後の手段でしたが、さすがの北ベトナム軍もこれには叶わず、4月になってからようやく発動された地上からの解放作戦まで、ケサンは持ちこたえたのでした。

チャスタイズ作戦(第2次世界大戦1943年・目標:ドイツのダム)

Eder dam.jpg
By Iediteverything投稿者自身による作品, Copyrighted free use, Link

チャスタイズ作戦の攻撃目標となったエーデル・ダム。
 
我らがブリテンがまたやってくれた! と英国面大喜びのダム攻撃作戦。某巨大掲示板のダム板住民ならご存知の通り、ダムというのは元来自然に抗うものですからそうそう簡単に壊れません。しかも強力な対空砲火に守られていればなおさらでしたが、そこでイギリス空軍はダム攻撃のための4.2トン特殊爆弾「アップキープ」を開発しました。

爆撃進路に入ったアブロ ランカスター爆撃機の爆弾層内で、ドラム型の「アップキープ」に毎分500回転のバックスピンをかけて超低空から投下、すると「アップキープ」は水面で跳ねながらダム壁に到達してそこで沈み、湖底で爆発! 水圧に押し込められた爆圧はモロにダム壁に向かい、決壊させる……という、執念の爆撃です。

目論み通り目標とした3つのダムのうち、メーネ・ダムとエーデル・ダムの決壊に成功、水害も引き起こし水力発電を不可能にして運河にも影響を与えることに成功。しかし、妙な爆弾を積むため特殊改造を受けたランカスターは19機中8機が未帰還という大損害を受け、「アップキープ」は2度と使われませんでした。

爆撃をおこなった第617飛行中隊は「ダム・バスターズ」
と知られるようになったほか、特殊爆弾を使った特別爆撃隊として第2次世界大戦を生き抜き、2017年現在も存続しています。

アメリカ本土空襲(第2次世界大戦1942年・目標:アメリカ本土オレゴン州)

E14Y Type 0 Reconnaissance Seaplane Glen E14Y-2.jpg
パブリック・ドメイン, Link

オレゴン州空襲を行った零式小型水上偵察機(同型機)
 
前述のドーリットル空襲への報復として行われた、日本海軍による米本土空襲。

それ以前から、米本土西海岸に展開していた日本海軍潜水艦は商船を攻撃したり、艦砲射撃を行ったりと通り魔的な攻撃をおこなっていましたが、空襲には空襲で対抗することとします。

日本海軍の潜水艦は水上偵察機を搭載しているものも多かったので、そのうちの1隻、伊25(伊号第二五潜水艦)に搭載していた零式小型水偵(零式小型水上偵察機)に爆弾を搭載、爆撃任務を与えました。

零式小型水偵は近代的な全金属単葉水上機でしたが、後の潜水空母用特殊攻撃機「晴嵐」ほど高性能を狙ったわけではなく、爆弾搭載量もわずか。そこで76kg焼夷弾2発を搭載したとしても、たった1機では効果は知れているため、いくらかでも被害を起こしやすいようオレゴン州の山林に焼夷弾を落として、山火事発生を狙いました。

爆撃は1942年9月7日と9月29日の2回にわたって行われ、多少の火災を発生させたものの、当時は雨の直後で湿気っていたため期待されたような乾燥時の山火事は起きず、人的被害もゼロ。
ささやかな報復爆撃でしたが、正規の軍事組織によるアメリカ本土空襲は、後にも先にもこの時の日本海軍によるものが唯一です。

そのため、この爆撃を決行した零式小型水上機のパイロット、藤田 飛曹長はアメリカでも「敵ながら勇敢な英雄パイロット」と称えられ、戦後1962年に爆撃したオレゴン州のブルッキングス市から招待を受け大歓迎されています。

ただ、事情をよく知らなかった本人は「そのまま戦犯にされて帰れないかも」といつでも自決できるよう軍刀を準備、悲壮な決意とともに渡米しましたが、結果的には歓迎に感謝し、軍刀はそのままブルックリングス市に寄贈されました。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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