- コラム
ミリタリー偉人伝「ハルゼーでもスプルーアンスでもニミッツでもなく。マーク・ミッチャー」
2018/06/18
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/04/8
菅野 直人
日本海軍の宿敵として、レイモンド・スプルーアンス提督と共に定番キャラ(?)として仮想戦記でも出番の多い米海軍のウィリアム・ハルゼー提督。そのキャラの立ち方が凄まじいもので、創作の素材というより存在自体が創作じゃないかと疑わしいくらいですが、荒くれ武者にしてユーモラスなエピソードもあり、日本憎しで戦い続けた割には、日本でも人気のある提督です。
By Official U.S. Navy photograph #80-G-K-15137, now in the National Archives collection – Naval Historical Center
(http://www.history.navy.mil/photos/images/k15000/k15137.jpg), パブリック・ドメイン, Link
フルネームはウィリアム・フレデリック・ハルゼー・ジュニア。代々船乗りの家系であるハルゼー家の長男として、1882年10月30日に米ニュージャージー州エリザベスで出生。
腕白な少年時代を経てアナポリス(米海軍兵学校)を目指すも失敗し、一旦は軍医を目指したものの、コネでアナポリスに入れることに。
そこでは常にとにかく卒業が危ぶまれた落第生だったそうで、下から数えた方が早いながらもどうにかアナポリスを卒業し、少尉候補生として戦艦「ミズーリ」(初代)から軍歴をスタートさせました。
日露戦争後にアメリカがその威信を示すため世界一周航海を行った白い戦艦隊「ホワイトフリート」の1隻、「カンザス」に乗り組んで日本を訪問し、かの東郷平八郎元帥にも会っています。
ただ、ハルゼーの日本嫌いはこの頃かららしく、「日本はとにかく卑怯で戦争する時も宣戦布告もせず奇襲攻撃していつも勝っている。ニヤニヤ笑いの裏で何を考えているかわからん。」と毛嫌いしていました。
おかげで後に対日戦線でいろいろな逸話を残すことになりますが、アメリカも米西戦争の原因となったメイン号事件など、割と言いがかり的に戦争を初めては覇権を広げている国なので、あまり人のことは言えなかったりしますが。
その後は駆逐艦など主に小艦艇で経歴を積み、1920年代には新時代の兵科である航空部隊への転身を図るものの、視力検査で失格。
しかし、空母「サラトガ」(初代)艦長への内示を受けると、大型艦の指揮経験も無ければ航空隊には落第しているしと困り果て、どうにかねじこんでペンサコラの飛行学校に入学。
しかも、単なる士官教育のはずで視力検査も相変わらず通らないはずなのに、なぜかパイロットコースに転向してウイングマーク(操縦資格)を取得してしまいます。
一説には「視力回復にいいから」とニンジンをかじりまくったのが功を呈したとも言われますが、定かではありません。
アナポリス以来、どうにかねじ込むのが得意となってしまったハルゼーですが、サラトガの館長から空母戦隊の指揮官まで駆け上り、演習では航空攻撃だけで巡洋艦群を撃滅する活躍を見せ、米海軍で空母戦の第一人者になりました。
太平洋戦争が始まる直前、日米間で不穏な雰囲気が流れていた時は、アナポリス同期ながらとっくに太平洋艦隊司令長官に出世していたキンメル大将に「日本軍を見つけたらどうしたらいいのか?」と聞いて「そんなもの、常識で判断しろ!」と言われたそうです。
これを聞いて、日本軍を見つけ次第攻撃するつもりでウキウキしながらウェーキ島への増援輸送などに出ていましたが、逆に南雲機動部隊に真珠湾を攻撃され、壊滅した太平洋艦隊を見て「先に攻撃するなんて、やっぱりやつらは卑怯者だ!」と激怒しました。
先に見つけていたら日本軍に先制攻撃していたのはハルゼーの方だったのは、この際棚に上げたようです。
ともあれ、これで怒り心頭に達したハルゼーは、後に空母を引き連れ南太平洋軍司令官として着任した時、「この戦争に勝つために大事なことが3つある」と前置きした上で、こう述べました。
「KILL JAPS, KILL JAPS, KILL MORE JAPS!」(ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、ジャップをもっと殺せ!)シンプルですし日本人としてはたまったものではありませんが、一応その通りではあります。
パブリック・ドメイン, Link
太平洋戦争で重要なターニングポイントとなったミッドウェー海戦こそ、皮膚病の悪化で入院して参戦していませんが、それ以外は前線で戦い続け、戦局逆転に大きく貢献しています。
初の日本本土直接攻撃となったドーリットル空襲の指揮を執り、ソロモン戦では使える戦力は空母・戦艦から小艦艇まで片端から投入し、ついに日本軍を押し返すのに成功しました。
以後は、ミッドウェー海戦の指揮官にして長年の盟友・スプルーアンスと交代で、再編かつ強大化した空母機動部隊、米第3艦隊を率いて日本軍に立ち直る暇も無い痛撃を与え続けます。
それも旗艦の指揮官席で思考を巡らすなど苦手な方で、暇を見つけては前線や艦内のどこでも顔を出すフットワークの軽さ…というより、ウルサイ上司がいない間に現実的な作戦を練る参謀たちから放任されてたような気もしますが。
おかげで、「俺はあの爺さんのためなら死ぬまでついていくぜ!」などと盛り上がっていた兵士の後ろにこつぜんと現れ、「若いの、俺はそんなに年じゃねえぞ?」と凄む光景も。艦隊司令長官というより、海賊の頭目みたなものです。
さらに、アイスクリーム大好きアメリカ人に大人気な、艦内のアイスクリームバーで若い少尉が「士官が優先だ!」と列を無視して割り込もうとしたところ、
「コラ!俺だって待ってるのにキサマら何をやっとる!」
と一括したのがハルゼーだったという話も。
普段は「キル・ジャップス!」とか猛然と叫びながら、行列にはキチンと並ぶカワイイところ、というより礼節もちゃんと持っていたのが、ハルゼー人気の元でもあります。
しかし、太平洋戦争末期の大艦隊司令長官ともなると、そんな茶目っ気だけでは済まない話も出てきます。
フィリピン侵攻では防衛側の日本軍が一発逆転の奇策として「主力のはずの空母が実は役立たずなので、囮としてハルゼーに追いかけさせて、その間に戦艦を突っ込ませる」という戦術を採りました。
とにかく飛行機大好き、空母大好き、これでジャップを徹底的に叩きのめせるぞ!と燃えていたハルゼーは「空母が主力」と思い込んで、まんまと引っかかります。
空母4隻・航空戦艦2隻を中心とした日本の囮部隊・小沢機動部隊(第3艦隊)はハルゼー率いる第3艦隊に追い掛け回されてボコボコにされましたが、その間にレイテ湾口の第7艦隊から悲鳴のような電文が届きます。
撤退したと思い込んでいた日本の戦艦部隊が突如出現し、航空支援役の護衛空母を追い掛け回していたのです。
しかし、「ジャップの戦艦なんて第7艦隊の旧式戦艦だってたくさんいるし、せいぜい一番近い空母群を回せばいい。」くらいに思っていたハルゼーは、「主力」である小沢機動部隊への追撃をやめません。
一方、ハルゼーが先に「武蔵」を撃沈していたとはいえ、最新鋭戦艦「大和」を中心とした日本の戦艦部隊に単独で勝てるか不安だった第7艦隊は、ハルゼーが救援に来ないと知って真っ青になります。
結局、状況を見かねた太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督が「第34任務部隊は何処にありや?全世界はこれを知らんと欲す」と発した歴史的電文をバカにされたと激怒したハルゼーが引き返したのと、同時に日本の戦艦部隊もなぜか引き返したので、事なきを得ました。
しかし、この一歩間違えれば大惨事になりかねたハルゼーの暴走は「ブルズ・ラン」(猛牛の突撃)として、歴史に名を残しました。
ブルズ・ランと、その後猛烈な台風に艦隊を突っ込ませて大被害を出したことから、ハルゼーに大機動部隊指揮官としての適性を問う声もありました。
しかし、人気の高いハルゼーを更迭する影響を考慮した米海軍上層部によって地位を保ち、以後も日本軍への攻撃を緩めず、終戦直前に日本が降伏する情報が入ると、最後のダメ押しのため、補給を途中で打ち切って東日本太平洋沿岸への攻撃を続けます。
1945年8月15日、昭和天皇による玉音放送が終わって戦争終結が決まった時も、実は日本軍による最後の攻撃隊が来襲していました。
しかしこれを意に介さず艦隊全艦への通信回路を開いたハルゼーは、激しい対空砲火が最後の日本軍機を撃墜している最中でも、ついに日本を打倒した喜びを表す、長い演説を続けました。
やがて日本軍機の姿が消え、演説も終えたハルゼーは幕僚から日本軍機が引き続き襲来した時の対応を尋ねられ、こう答えました。
「もちろん、警戒は続行して撃墜しろ。ただし、友好的な方法をとれ。」
戦争は終わったのです。
太平洋戦争全期間を通じて暴れまわったハルゼーですが、終戦とともにその役目を終えて事実上退役、海軍元帥として生涯現役とする名誉を受けます。
開戦時の座乗艦であり、激戦期にもその活躍に助けられた「ビッグE」こと空母「エンタープライズ」(初代)の保存委員会で委員長を努め、残念ながら同艦は解体されたものの、世界初の原子力空母に「エンタープライズ」と命名されました。
1959年8月16日に死去して後、彼の功績を称えて米海軍の軍艦にその名がつけられるようになり、現在はアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦「ハルゼー」に、その名を残しています。
破天荒かつユーモア溢れる、常に全力で戦う裏表の無い猪武者、そしていかにもカリブの海賊のような性格から、日本人にとっても「憎めない宿敵」として、長く記憶に残る存在でしょう。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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