- コラム
オスプレイは危険な飛行機か? 軍用ティルトローター/ティルトウイング機の歴史
2017/01/20
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/02/2
菅野 直人
とりあえずプロペラ1つの軍用機(らしきものも含めて)に日の丸がついていれば、全部「ゼロ戦」と呼ばれるほど有名なのが、三菱A6M 零式艦上戦闘機(零戦)です。
とにかく無敵の戦闘機、でも最後はマトモなパイロットがいなくなって特攻に使われた悲劇の戦闘機、そんなイメージのある「ゼロ戦」ですが、後世に誤ったり誇張されて伝わった結果、都市伝説のようになっているエピソードもあります。
零式艦上戦闘機の正しい呼び方は「れいしきかんじょうせんとうき」。
略すると「零戦(れいせん)」
それゆえ「戦時中の英語が敵性語として禁止されていた日本で、ゼロ戦と呼ばれるわけが無い。れいせんと呼んでいたはずだ」と言われることもあります。
しかし、そもそもそれほど徹底的に英語が禁止というわけではありませんでしたし、海軍は「海軍英語」と呼ばれる独自の用語まであったほどで、英語無しでやっていける組織ではありません。
実際、零戦が「新型戦闘機」として初めて新聞で国民に紹介された1944年11月、朝日新聞では「零戦(ゼロセン)」とルビ付きで紹介されていたのでした。
試作機を含む初期の機体がテスト飛行で空中分解を起こしたり、その後の量産型も速度制限(666km/h)が設けられていたのは事実です。
ただしそれは零戦五二型(一一型、二一型、三二型に続く、4番目のメジャータイプ)の初期までの話で、五二型最初のマイナーチェンジモデルと言える五二甲型で主翼外板の板厚を増し、制限速度を740km/hまでアップしています。
さらに爆戦型(戦闘爆撃機型)の六二型/六三型/六四型ではそれ以前のタイプより構造を強化し、マリアナ沖海戦から爆戦に搭載された25番(250kg爆弾)のみならず、50番(500kg爆弾)を搭載しての急降下爆撃が可能になりました。
特攻機の場合は降下角35~55度で最終突入速度が720km/h程度と推測されていましたので、零戦は機体構造強化による重量増で軽快性を失いはしたものの、戦闘爆撃機として最後まで現役につくことができたのです。
零戦がまだ圧倒的勝率を誇っていたと言われる太平洋戦争序盤から中盤にかけて、ともすれば「零戦に落とされるカモ役」のように印象づけられているアメリカの艦上戦闘機、グラマンF4Fワイルドキャット。
実際の戦績はどうだったのでしょうか?
あくまで米軍側の公式記録ですが、ワイルドキャット1機を失うまでに零戦を何機できたかという「キルレシオ」のスコアがあります。
開戦からミッドウェー海戦までは1:1.7(ワイルドキャット1機の犠牲で零戦1.7機を撃墜)。
それがミッドウェー海戦で実証された「サッチ・ウィーブ」と呼ばれる、2機が互いに援護しあいながら戦う戦法と、捕獲した零戦を研究した結果、「とにかく零戦とマトモに格闘戦はせず、高速一撃離脱戦法に徹する」を組み合わせた結果、劇的に改善。
ミッドウェー海戦以降1942年(ガダルカナル戦や南太平洋海戦など、主に一連のソロモン戦)には1:5.9、最終的には戦争全般を通じて1:6.9に向上しています。
一方的な戦果報告はどこの軍隊でも3倍程度にはなりますから、実際はその1/3だとしても1942年以降、もう零戦の優位が崩れているわけです。
ワイルドキャット自体も1942年末以降にゼネラル・モーターズ社製のFM-2(グラマンF4F-8)に生産移行し、低空での加速や運動性が向上していますから、パイロットの質が落ちた零戦には脅威だったことでしょう。
中国戦線や、太平洋戦争海戦直後の台湾発フィリピン空襲で海軍中攻隊(陸上攻撃機隊。雷撃も可能な重爆撃機に相当)の護衛として活躍したことから、零戦を「長距離戦闘機として開発」という誤解があります。
これは結果的に長距離任務も可能にしましたが、実際の要求はあくまで「長時間艦隊防空を為し得ること」であり、航続距離ではなく滞空時間が要求されたのです。
レーダーが無い時代、敵機を発見してから飛び上がってからでは遅いため空中哨戒任務は不可欠であり、そのため長い滞空時間が要求されたのが真実でした。
また、速度向上のため主翼幅が短縮された三二型や五二型以降は燃料タンク容量の減少や構造強化による重量増で、エンジンを中島「栄」から三菱「金星」に換装した五四型では大馬力と引換の燃費悪化で航続距離が落ちており、最終的には長距離戦闘機と言えなくなっています。
三菱重工が開発したので、終始三菱製のイメージがある零戦ですが、太平洋戦争開戦前の1941年にはライバルである中島飛行機での生産も始まっています。
1942年10月以降は終戦まで中島製零戦の方が三菱の生産数を上回っており、中島製零戦が多いほどでした。
これには生産ラインの差や空襲による工場被災の影響もあり、最終的には工場の疎開に成功していた中島の方が工場の稼働率で上回ったためとも言われています。
なお、零戦の水上機仕様である二式水上戦闘機(327機)も中島製で、他に練習用複座型の零式練習用戦闘機(通称:練戦)は海軍第21航空廠と日立航空機で500機以上が生産されました。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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