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2019/03/8

菅野 直人

平成軍事メモリアル(7)「軍事知識の拡散」~インターネットによる情報共有の時代~

現在では多くの人がほぼ無料で、少なくともそのためだけにお金をかけずに簡単な軍事知識なら得ることができる世の中になりました。それどころか、写真なら撮影されたばかりのものが数分後には誰もが見られますし、戦争が始まってもすぐに世界中が知ることとなっています。しかし少なくとも平成初期まではそうではありませんでした。軍事知識の分野でも世界を大きく変えたのは、やはりインターネットです。

前回記事:平成軍事メモリアル(6)「最後の戦艦」~アイオワ級戦艦の退役で、世界の『戦艦』がゼロへ~







かつて軍事知識は、「お金をかけて足を運ばないと、少しも得られないもの」だった

1974年(昭和49年)生まれの筆者が子供の頃に軍事知識を得る手段は、基本的にそれまで何十年、何百年と繰り返されてきた時代と、そう変わりはありませんでした。
自衛隊の駐屯地や、空港はおろか飛行場さえも、そして港が近くにある環境でもなかったので『軍事』に触れる機会などはなかったので、どこかに出かけない限り知ることのない世界。

そんな筆者が初めて『軍事』を目の当たりにしたのは、1976年(昭和51年)10月に埼玉県の入間基地で開催された『第5回国際航空宇宙ショー』。
当時まだ2歳だったのでうっすらとしか記憶にありませんが、当時は航空自衛隊の第3次F-X(次期主力戦闘機)選定の真っ最中で、現在まで主力戦闘機の座にあるマグドネル・ダグラスF-15『イーグル』と、選定で激しく競っていたグラマンF-14『トムキャット』が一騎打ちのごとく派手なデモフライトをしており、幼い筆者は怖くてワンワン泣いていたそうです。

もっと記憶にあるのは3年後、やはり入間基地で開催された1979年(昭和54年)の第6回ショーで、まだハイビジ塗装の巨人輸送機、米空軍ロッキードC-5A『ギャラクシー』が機体前後をパックリ開けて内部の巨大なスペースを誇っていたのを、よく覚えています。

どうも父親が若い頃にミリタリーマニアだった影響だったと思われますが、そんなショーに連れまわされた影響か、気がついたら買ってもらった子供向けの『戦闘機百科』だの『軍艦百科』に飽き足らず、1982年(昭和57)年にはまだ8歳ながらフォークランド紛争の様子を伝える新聞を食い入るように見ていました。

従兄もミリタリーマニアだったので、遊びに行くたびに『航空ファン』や『世界の艦船』も読んでいましたが、当時の小学生のお小遣いでそんな本はそうそう買えません。
そこで『コロコロコミック』の購読をあきらめ、内容は若干薄いながらも1冊で陸海空全部を網羅したミリタリー系総合誌『』を毎月買うようになったのは1985年(昭和60年)、11歳の時からでした。

いわゆる『丸少年』の仲間入りをしたわけですが、当時としても珍しい子供だったのか、発売日に行きつけの本屋へ行くと、店主が筆者のために『』を1冊取っておいてくれたのも覚えています。
当時発売されたばかりの『ドラゴンクエスト』(いわゆる『ドラクエI』)くらいは新品で買いましたが、ファミコンソフトは年に何度か中古のみ(そもそも本体も中古)、数少ない毎月のお小遣いで買う『丸』は、子供時代既にミリタリーマニアだった筆者にとって最高の娯楽だったのです。

プラモの解説も貴重な情報源

各分野の専門誌ほど濃くはないものの、予算の限られた子供にとっての『』は実に鮮烈な印象を与えるミリタリー知識の宝庫でした。

当時まだ護衛艦隊旗艦だった『あきづき』(先代)の雄姿と、ピカピカの『はつゆき』級護衛艦の就役でついに第1護衛隊群で実現した『新八八艦隊』(護衛艦8機・護衛艦8隻で1個護衛隊群を編成)や、ソ連太平洋艦隊に回航されてきたキーロフ級原子力ミサイル巡洋艦『フルンゼ』の脅威。
陸上自衛隊の新戦車(後の『90式戦車』)や、難航するFS-X(後の『F-2』)の迷走っぷりも『丸』で知り、太平洋戦争時代の日本軍についても『丸』の別冊版を買いそろえて読みふけります。

さらにプラモデルも小学生低学年までは『ガンダム』や『マクロス』、『バイファム』などアニメ系ばかりでしたが、次第にスケールモデル、つまり実在する物を模型化したものへ、もちろん戦闘機や軍艦を作るように。
プラモデルには説明書へその兵器や軍艦の登場背景や活躍などが書かれていたので、まず箱を開けて解説を読みふけり、箱絵も合わせて気に入ったものを買っていましたが、子供心に熱くなったのは航空戦艦『伊勢』や、連合艦隊旗艦時代の軽巡洋艦『大淀』など。

とにかく金をかければ何らかの知識は得られる、金がない部分は選ぶフリしてプラモの箱を開けては解説のみちょっと読ませてもらい、『丸』以外の専門誌は基本立ち読みで……と、特に模型店の店主には嫌そうな顔もされましたが、何しろ他に手段がないので仕方がありません。
小学校も最後の方になると、友人の家にある子供向けの軍事系書籍(『〇〇大百科』的な本)が、「デタラメばかり書かかれており、文字通り子供騙しだな」とわかるようになってしまいました。

今ならたとえ子供向けの本でもいい加減なことを書いたらtwitterなどで叩かれそうですが、昭和時代の本はそんなもんで、子供心に「そんな本へ貴重な金は払えない」と思ったものです。

リアルタイムに話題が流れ込んでくる! インターネットの衝撃

そんな状況は平成になってもすぐに変わりません。
厳密には昭和時代末期から平成時代初期にかけ『パソコン通信』が始まり、自宅にも姉が所有するワープロ(※ワードプロセッサー。パソコンと似ていますが、要は電子タイプライター)にNECのPC-VANへ接続可能なモデムもついていました。

しかし悲しいかな、当時の我が家の電話はいわゆるダイヤル式の黒電話であり、モジュラージャックでもなかったため、ワープロで電話回線への接続などできません。
1988年(昭和63年)に新居へ引っ越し、ようやくモジュラージャックつきの電話になったものの、家を建てるだけで力を使い果たした両親(それだけでも大したものですが)は、パソコンどころかワープロの接続すら許してもらえませんでした。

仕方なく学校近くの郵便局でキャプテンシステム(当時のNTTが独自に進めていた『パソコン通信っぽいもの』)で遊ぶくらいで、さらに月日は流れます。
そして1995年(平成7年)、ついに画期的な『Windows95』が登場し、インターネット時代の幕を開けますが、その頃の筆者は一時的にミリタリーマニアを脱しており、同棲だなんだと青春を謳歌していた頃で、パソコンやインターネット回線にかける予算なし。

ようやく我が家に親戚からお下がりでパソコンが来たのはもう26歳になった2000年(平成12年)のことで、電話回線を占有せず使い放題な上に、ベストエフォート64kbpsを誇る当時としては超高速回線『ISDN』に接続して、ようやく筆者のインターネット元年が始まりました。

まだまだ画像を閲覧するのに快適な、つまりクリックすれば画像をふんだんに使ったページがパッと出る環境ではなかったのでテキストベースが主でしたが、それでも『侍魂』や『POPOI』など当時のホームページを楽しむには十分です。
しかしインターネットと軍事が密接に結びつき、リアルタイムで多数の情報が流れてくる様子を初めて実感したのは2001年(平成13年)9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件、通称『911』でした。

当時、筆者はたまたま見ていたNHKの『ニュース10』でリアルタイムに2機目のハイジャック機がニューヨークのワールドトレードセンター南棟へ突入、爆発炎上した瞬間を見てしまいましたが、その後深夜遅くまで離れた場所にあるTVとパソコンを行ったりきたりしながら、情報収集に夢中になったのです。

TVだけならせいぜいチャンネルを切り替えつつ、リアルなライブ映像と曖昧な報道をブツ切りで見る程度でしたが、インターネット上では「TVでこんな情報入った!」という話が国内外から続々流れ込んできます。
もちろんデマも多かったものの、当然ながら怯え、悲しみ、そして怒り狂うアメリカの様子をリアルタイムで実感していったことで、「インターネットってスゴイ!」と初めて実感しました。

ブロードバンド化、使い放題、モバイル化で濃い軍事知識の急速拡散へ


その後2004年(平成16年)、筆者30歳の時にようやく自宅へ光回線が開通し、現在に近い超高速回線でのインターネット使い放題サービスが始まり、ADSLとともに日本全国へ高速インターネット網が普及していきます。
mixiなど現在のtwitterやFacebook、Instagramへ通じるSNSが始まったのもこの頃で、既に存在していた超巨大掲示板2ちゃんねる(現在の『5ちゃんねる』)ともども、情報拡散や共有が容易になりました。

軍事知識面でもブログやホームページで発信された情報がSNSを通じて拡散していくという塩梅で、気がつけば「別にそのためにインターネット回線を引いたじゃないけど、ついでのように軍事知識や戦争の話題も容易に無料で入ってくる」という状況へ。


平成時代も終盤になると、2008年(平成20年)にアップルから『iPhone3G』が発売されたのを皮切りに本格的なスマートフォン時代が到来(それまで同種の端末が『PDA』と呼ばれて販売されていたが、本格普及はしなかった)。
誰もかれもがスマートフォン、略して『スマホ』を持つようになると、かえって固定回線やパソコンなど使わなくなり、より手軽に情報を拡散できるようになりました。

それは日本より電話通信網の弱かった新興国で顕著だったもので、イスラム圏で2010年代に起きた『アラブの春』や現在まで続く『シリア内戦』、2014年(平成26年)の『クリミア危機』などで、現地住民やジャーナリストからSNSで世界中へ情報拡散されるのが当たり前になります。

そして平成時代も終わろうとしている2019年(平成31年)3月、日本でも防衛省はインターネットでの広報活動をフル活用していますし、自衛隊も地方協力本部レベルで人気アカウントが登場。
海上自衛隊の港では最新鋭護衛艦の就役や各艦の停泊状況が伝えられていますし、中国の最新鋭空母が出港すればすぐSNSに写真つきで掲載され、インドとパキスタンで国境紛争が起これば「パキスタン上空を民間機がほとんど飛んでない」とすぐさま伝わります。

特に軍事情報収集用ではない汎用端末で、純軍事目的としてはタダで手に入る情報が盛りだくさんであり、かつて少ないお小遣いを握りしめて『丸』を買いに走った子供としては、まことにうらやましい限りです。

平成の次は、インターネットが飽きられた末に『濃い本物の情報』が求められる時代?

もちろん情報があふれているだけに真偽判定や取捨選択、つまり『読むだけでなく自分で考えてまとめる力』が試される時代ではありますが、時間を惜しまなければそのための材料はインターネット上へふんだんに揃っています(本当に必要な情報の検索には少々コツが必要ですが)。
かつて限られた人間が、予算や労力を割いて手に入れていた軍事知識は今や他の知識と同様、簡単に手に入るようになりました。

ただし、それだけに書籍など有料の情報は『本物』以外が淘汰される時代でもあり、今なお予算と労力をかけようという人間であれば、かつてよりさらに濃く源泉された情報が手に入る時代と言えるでしょう。
平成の次の時代は、そうした『濃い本物の情報』に飢えた人々によって、案外インターネットは単純な娯楽と割り切られ、電子書籍を含む『本』が見直される時代かもしれません。

既にインターネットでも閲覧可能な公式情報による情報の羅列『一次情報信仰』への反動が見受けられ、より整理や検証の進んだ『洗練された情報』を求める傾向が出てきています。
昔なら『特型駆逐艦III型』と呼んでいたものを『暁型』、『エセックス級長船体型』を『タイコンデロガ級空母』と、ことさら細分化したがるのに少々辟易している人も、案外多いのではないでしょうか?

海上自衛隊の『いずも』級護衛艦を改装、島嶼防衛のためF-35Bを運用可能へするのに攻撃空母だ何だと見当違いな話題になるのも、飛び交うばかりで洗練されていない情報を使いこなせていない好例かもしれません。

平成軍事メモリアルはこちらからどうぞ







菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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