- コラム
奇跡の海戦史「さあ戦いはこれからだ!」沈みゆく船で接舷戦闘を挑んだジョン・ポール・ジョーンズ
2018/11/19
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2019/01/20
Gunfire
戦争において一番重要なのはやはり武器。
この武器こそが戦争の要といっても過言ではなく、剣や槍などが主流の時代は密集陣形が一般的でしたが銃火器の登場で散兵が主流となるなど、使用される武器によって戦争のあり方や戦術が大きく変化します。
そして、時として一丁の名銃の登場によってこれまでの常識や、戦術が大きく変わるということもしばしば起きています。
そこで今回は歴史を大きく変えたと言っても過言では無い名銃を生み出した偉人達についてご紹介したいと思います。
パブリック・ドメイン, Link
重火器が好きな人達は誰もが好きと言っても過言では無いのが1862年に登場したガトリング砲。
そしてこのガトリング砲を生んだ偉人こそが「リチャード・ジョーダン・ガトリング」。
リチャードはアメリカの発明家として知られており、蒸気船のスクリューや播種機(種まき機)などを発明した人物です。
そしてリチャードがガトリング砲を生んだのはアメリカの南北戦争の頃。
リチャードは
「1人で100人分の働きをできるような機械(砲)を発明できたら、戦争に投入される兵士の数は大幅に減らせるだろうし、その結果として戦死者も減るだろう」
引用:Wikipedia
と考え、自分が開発した播種機の仕組みを用いてガトリング砲を製造。
そして完成したガトリング砲は南北戦争で猛威を振るい、軍隊で制式採用されて以降、1911年まで長らく使われることとなります。
パブリック・ドメイン, Link
次は他では類を見ないほど数々の銃器を設計した「ジョン・ブローニング」。
ジョンはポンプアクションの仕組みを開発した人物であり、“ブローニング”と聞くとショットガンを連想する人が多いと思いますが、実はポンプアクションだけでなく世界初の自動式拳銃など、他にも様々な銃器を開発しています。
ジョンはアメリカの銃砲店の息子として生まれますが、機械への興味と持ち前の器用さを活かして24歳の時に既にレバーアクション式の単発ライフルを開発して特許を取得。
その後は開発したレバーアクションを通じてウィンチェスター社やコルト社、さらにはFN社と深いつながりを持つ用になり、後に「ウィンチェスターM1887」や「コルト・ブローニングM1895重機関銃」、「FNブローニング・ハイパワー」などを次々と開発していきます。
さらに銃器だけでなく弾丸やサブマシンガンの基礎となるテレスコーピングを発明するなど様々な分野でも活躍し、最終的には128種の銃器関連特許を取得して銃器の発展に大きく貢献しました。
By NPS Photo – http://www.nps.gov/spar/learn/historyculture/images/Garand-for-his-page.gif, パブリック・ドメイン, Link
次はサバイバルゲーマー達の中でも人気が高い「M1ガーランド」。
このM1ガーランドは第二次世界大戦で大活躍したセミオートライフルで、これまでボルトアクションライフルが主流だった戦場にとっては非常に画期的なアサルトライフルでした。
そしてM1ガーランドを開発したのはカナダ系アメリカ人である「ジョン・キャンティアス・ガーランド」。
ジョンは元々、射撃が趣味の機械工でしたが、その趣味が高じて銃の設計までも手掛けるようになります。
一方で当時のアメリカ陸軍は軽機関銃の設計案を募集しており、ジョンはいくつかの設計案を提出。
そして見事に設計案が採用されたジョンは戦争省に雇用され、後に国立標準局の職員となります。
その後、ジョンは国立標準局の職員として15年の歳月を費やし遂にM1ガーランドを開発。
1936年には大量生産が開始され、アメリカ初めてのセミオートアサルトライフルとして制式採用されることとなったのです。
By U.S. Army Ordnance Corps – Mr. Eugene M. Stoner at the Ordnance Corps Hall of Fame, Public Domain, Link
名銃を生んだ偉人を語る上で外す事ができないのが「ユージン・ストーナー」。
ユージンは20世紀を代表する銃器設計者として知られていますが、ユージンが開発したのは誰もが知るM16。
ユージンは元々、フェアチャイルドという航空機器会社に勤める設計技師でしたが、フェアチャイルドはアーマライトという銃器開発部門を所有しており、ユージンはそこの銃器開発部門で様々な競技用ライフルを開発していました。
そして開発された競技用ライフルの中でもAR-10というライフルが非常に高性能だったため、1957年にAR-10の改良型であるAR-15を開発。
このAR-15がアメリカ軍の目に留まり、M16として制式採用されることとなるのです。
その後、ユージンはAR-15の製造権がコルト社に移った時を境にアーマライト社を退社し様々な会社を渡り歩くこととなりますが、銃器の開発は続けており生涯にわたって20もの銃器を設計しました。
関連記事:意外と知らないM4とM16とAR15の違い! これを読めば一目瞭然!
By Kremlin.ru, CC 表示 4.0, Link
そして次はM16に勝るとも劣らない程の知名度を持ち『世界で最も多く使われた軍用銃』としてギネス記録にも掲載されているAK-47。
このAK-47を発明した人物はロシアの「ミハイル・カラシニコフ」。
ミハイルは発明家であり軍人であり、さらには政治家でもあるという様々な顔を持つ人物ですが、元々はロシア南部で暮らすコサックの一人でした。
しかし、1938年に赤軍に入隊して以降、機械や兵器開発などの才能が開花。戦車操縦士兼整備士として訓練を受けつつ、最初は戦車に関する様々な機器を発明します。
その後、ミハイルは戦地で大怪我を負い病院で療養する事となりますが、その時にアサルトライフルの重要性に気付き、1946から約2年の歳月をかけAK-47を設計・開発。
そして開発されたAK-47は性能も高く、過酷な条件でも問題なく稼働する上に製造コストが低いという画期的なアサルトライフルであったため、1949年にはソ連軍の制式アサルトライフルに採用。
今では世界中で誰もが知っているアサルトライフルとして、その名を轟かせています。
歴史を大きく動かした偉人達。
ユージン・ストーナー以外は銃に名前が使われていますが、ガトリングやガーランドが人の名前だと知らなかった方もいるのではないでしょうか。
ちなみに今回紹介した人物はごく一部で、まだまだ他にも開発した銃器で戦争を左右した偉人たちは多く存在します。
紹介しきれないのが非常に残念ですが、自分の愛用しているエアガンが誰によって設計されたのかを調べてみると意外な発見があったりするかもしれませんよ。
元々はインドア派だったが、体力の衰えを感じはじめたため、体を動かす趣味を探してサバイバルゲーム初参加。
それ以降というものサバイバルゲームの魅力と銃の魅力にひきつけられ、今では猟銃免許や狩猟免許まで手を出して本物のショットガンを背負って山でイノシシやシカを追うまでに。サバゲーやアウトドアの魅力を知ってもらうために今日も熱意執筆中。
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