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2019/01/18

菅野 直人

奇跡の海戦史『Hercules輸送機がタンカーのHerculesを爆撃?珍事も起きたフォークランド紛争

日本でも尖閣諸島を巡る有事のモデル・ケースとして引き合いに出されることの多いフォークランド紛争(1982年)ですが、イギリス領フォークランド諸島を『奪還』したアルゼンチン軍と、イギリス軍の『奪還』部隊が激しく激突、陸海空さらに海中まで巻き込む多数の戦いが行われました。その中には歴史に残る大激戦もあれば、思わぬ『珍事』も。







アルゼンチンとイギリス双方の『奪還合戦』となったフォークランド紛争

南大西洋の西寄りで南極海との境界近く、南米のアルゼンチンに近い位置にあるイギリス領フォークランド諸島。
16世紀にヨーロッパ人による発見後、各国で領有権が転々とした挙句1820年にアルゼンチンが領有を宣言し、1833年にイギリスが18世紀以来の再領有を宣言してからは、アルゼンチンが「いつか奪回してやる」と思いながら時を待つ事になりました。

そして20世紀、2度の世界大戦で疲弊したイギリスがアメリカに取って代わられる形で没落、植民地主義の大英帝国が終わりを告げますが、両大戦で重要な基地として機能したフォークランド諸島は維持し続けます。
それに対してアルゼンチンは、時折マルビナス諸島(フォークランド諸島のアルゼンチン名)への軍事力行使を匂わせつつも致命的な関係悪化を防いできましたが、1970年代から内政失敗で国内は混乱しており、事態打開のため『マルビナス諸島奪還』を叫んで国威発揚を狙います。

そしてついに1982年3月30日、アルゼンチン軍はフォークランド諸島へ本格侵攻を開始して『奪還』を宣言、『フォークランド紛争』が始まったのです。
この行動は当時のアルゼンチン政府の目論見通り国民から熱狂的支持を受けましたが、怒り狂ったイギリスのサッチャー政権はただちに『奪還』のため機動部隊と上陸部隊を侵攻開始後わずか5日で出撃させ、猛反撃を行いました。

結果、双方で多くの犠牲を出しながらも侵攻から2ヶ月半ほどでイギリスは勝利し、アルゼンチンのガルチェリ大統領も国民から見捨てられて失脚という結末を迎えています。

双方とも決定的戦力を欠く中、数だけは多いが故の激しい空海戦

このフォークランド紛争では、そもそもアルゼンチンが『大型空母を全廃した今のイギリスの国力なら勝てるかも』という思い込みが原因と言われるほど、イギリス軍は弱体化していました。

HMS Invincible (R05).jpg
By Photographer’s Mate 2nd Class Charles E. Hill – http://www.navy.mil/view_image.asp?id=14281, パブリック・ドメイン, Link

最新鋭の『インヴィンシブル』が就役したとはいえ、使える空母は能力が限定的なV/STOL(垂直/短距離離着陸機)、ハリアー/シーハリアーとヘリしか使えない軽空母が2隻(ハーミーズとインヴィンシブル)で、予備役のアルヴィオンを再整備しようとしたものの、状態が悪く断念したほど。
さらに空中給油を行えば何とか南大西洋北部のアセンション島から飛んでこれそうな戦略爆撃機『アブロ ヴァルカン』も退役寸前で稼動状態にあったのは数機のみ。

それに対してアルゼンチン軍は、機関がやたらと故障するポンコツとはいえ、軽空母『ベインティシンコ・デ・マヨ』や重巡洋艦『ヘネラル・ベルグラノ』を中心とした、中小海軍としてはかなり強力な艦隊を持っていましたし、アルゼンチン本土から飛来できる多数の戦闘爆撃機もありました。

つまり没落して遠征能力が低下したイギリス軍、貧乏とはいえ自国近海なら有力な戦力を展開可能なアルゼンチンという構図でしたから、両軍ともかなり拮抗した状態で戦いました。

緒戦こそイギリスの原子力潜水艦『コンカラー』がアルゼンチンの『ヘネラル・ベルグラノ』を撃沈してアルゼンチン艦隊の行動を抑えましたが、アルゼンチン空軍と海軍航空隊が本土から戦闘爆撃機を飛ばしてくると、アメリカ軍のようなAEW(早期警戒機)を持たなかったイギリス軍は、大苦戦を強いられます。

機動部隊は襲撃を受けるためフォークランド諸島から距離を置かざるを得なくなり、シーハリアー戦闘機の行動時間を制約され、上陸部隊は艦隊奥深くまで超低空を高速で、対空砲火をものともせず突撃してくるアルゼンチンの戦闘爆撃機へ蹂躙されました。

おまけに虎の子のフランス製対艦ミサイル『エグゾセ』まで投入したアルゼンチン軍は増援のハリアーやヘリなどを運んできたコンテナ船改造の特設航空機輸送艦『アトランティック・コンベヤー』や駆逐艦1隻を撃沈されるなど、大損害を受けたのです。

アルゼンチン側も前述の巡洋艦『ヘネラル・ベルグラノ』のほか、シーハリアーの反撃で戦闘爆撃機隊に大損害を受けましたが、なお士気は高くイギリス軍への攻撃を続けました。

戦力不足のアルゼンチン軍が繰り出す改造機

しかしアルゼンチン空軍/海軍航空隊の戦闘爆撃機が元気にイギリス海軍艦艇や徴用された商船を爆撃する一方、アルゼンチン本土は極度の緊張に晒されていました。
どうも南米各国で味方してくれそうなのは防空戦闘機隊の派遣に応じてくれたペルーくらいでブラジルは知らんぷり、チリに至ってはむしろこの機会に攻めてきそうな素振りを見せており、アメリカもいつ介入してくるか知れません。

おまけにイギリス空軍は退役寸前のバルカン爆撃機を引っ張り出し、ヴィクター空中給油機多数の給油リレーでフォークランド紛争への長距離爆撃に成功、そうなるとアルゼンチン本土も爆撃圏内なのに気づいて、イギリス艦隊攻撃から制空用の戦闘機を引っ込め本土防空に回してしまいます。

さらに『ヘネラル・ベルグラノ』撃沈のショックでイギリス原潜が本土近くまで襲来するかもと怯えて海軍艦艇は出撃しなくなり、有力な対潜能力を持った攻撃機もないため、プロペラ攻撃機の『プカラ』へ第2次世界大戦モノの古い魚雷を搭載して出撃させる始末。

哨戒機も2機しかなかったボロボロのロッキードP2V『ネプチューン』が部品不足で飛べなくなると、旅客機のボーイング707やビジネスジェットのリアジェットのレーダーを頼りに哨戒任務へ送り出すなど、やはり貧乏国ならではお寒い状態です。

紛争開始から時間が経つほど、衰えたとはいえイギリスの底力と、何だかんだで貧乏なため継戦能力が非常に低いアルゼンチンとの差が際立ちました。

珍事! HerculesがHerculesを爆撃?

アメリカ空軍のC-130E
By U.S. Air Force photo by Tech. Sgt. Howard Blair – http://www.af.mil, http://www.af.mil/photos/media_search.asp?q=C-130E%20Pope&page=32, http://www.af.mil/shared/media/photodb/photos/990101-F-5502B-002.jpg, パブリック・ドメイン, Link

そんな中、旅客機に哨戒任務をやらせるくらいですから、輸送機も爆弾を積めるよう改造して急造爆撃機に使おう、という1960年代までの中南米でやっていたような無茶を思いつくのは自然な流れだったかもしれません。
アルゼンチン空軍で運用していたC-130『ハーキュリーズ』輸送機が哨戒ついでに爆弾を搭載し、艦隊攻撃とは言わないものの増援を運んでくる輸送船くらいは攻撃できるんじゃないか、と出撃させられます。

やがて紛争末期の1982年6月9日、ニューヨーク・タイムズ紙は紛争のため設定された民間船舶の航行禁止区域からちょっと外れた南大西洋で、リベリア船籍のタンカー『ヘラクレス』がアルゼンチンのC-130輸送機から誤爆を受けたと報じました。
C-130が輸送機改造の急造爆撃機だった割に狙いは正確だったようで、同船には見事爆弾が命中! ただし幸い不発だったようで、被害もなく無事航海を続けられたようだ、としています。

なお、爆撃した『ハーキュリーズ(英語)』も、爆撃された『ヘラクレス(ラテン語)』も、つづりの上では同じ『Hercules』。
ハーキュリーズがハーキュリーズを誤爆したが、不発で何より」という、フォークランド紛争末期に起きた奇跡のような珍事でした。







菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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