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2018/08/6

菅野 直人

軍事学入門「戦場での殺戮が殺人ではない理由」

当たり前ですが、殺人は犯罪です。しかし、戦争ともなれば敵味方が互いに殺し合うのが当たり前なのもまた事実。なぜ戦争における人殺しは殺人にならないのでしょうか? それを許しているのは何が根拠なのでしょうか?







大前提:ルールとは裁く者がいてこそ


戦争においては、戦時国際法やハーグ陸戦条約といった『戦争のルール』があり、そこで戦争の際に攻撃していいのは何か、いけないものは何か、やっていい事悪い事がルールとして明文化されてはいます。

このルールを盾に取り、創作作品などで「どこか辺境の国でのゲリラ戦じゃあるまいし、ありえない!」とケチをつけてしまう人もいますが、そもそもルールとは、それを元にして審判を下す人あってのことである、という前提を忘れてはいけません。

その意味で、今回紹介する軍事の基礎のひとつ『戦争だとなぜ人殺しが許されるのか?』について。許されるも許されないも、それを裁く人間や組織あってのものだ、ということを忘れないでください。
極端な話、誰も裁かないのならば戦争では軍人も民間人も問わず何でも攻撃し放題になりますし、それは戦争じゃない世界、平時でも変わりません。

また、戦争に勝った国が自らの軍勢が行った行為に対して調査を行うかどうか、自らの組織の内部犯罪を問う気があるかどうかによっても、左右されます。

戦争で攻撃が許される『戦闘員』と、許されない『非戦闘員』

まず戦争においては、『戦闘員』と『非戦闘員』は明確に区別すべしと定められ、非戦闘員や軍事的に攻撃する意味の無い施設への攻撃は戒めるべし、とされています。
かつて第2次世界大戦やその前後の戦い、ベトナム戦争でも行われた都市への無差別爆撃は、その意味では禁止される行為です。

とはいえ、第2次世界大戦時の米軍による日本への都市爆撃のように、『日本は家内工業制だから都市そのものが軍需工場のようなものであり、そこで働く者は軍事的に攻撃する価値のある戦闘員に準じた戦争協力者である』と、こじつけじみた理由がつく場合もあります。

実際にそういう何次請けかわからないような下請け工場が街のあちこちにあったとしても、それをいちいち選り分けていられないから全部やっつける、というのが無差別爆撃の正体なのですが、そこまで好き放題される時は国が負ける時なので、まず泣き寝入り。
ただ、結果的には無茶苦茶の有耶無耶になるとしても、文明国として「こういう理由で攻撃したんだ」という程度の言い訳は求められます。

ただ、本来の『戦闘員』の定義はそのようなものではなく、簡単に言えば軍事組織に組み込まれ、明確にその一員とわかるような武装した人間を指し、組織化されていない武器を持ち抵抗する個人も含む、というものです。
そうでない者や、軍事組織の中にあっても衛生兵など医療要員は『非戦闘員』として保護すべき対象になりますが、実際には砲撃や爆撃など大威力兵器を用いる場合の巻き添えは避けられないので、『極力被害が及ばないように配慮する』程度の努力目標になっています。

巻き添えになった方は迷惑どころの話ではありませんが、それが現実です。

裁かれるべき非戦闘員への攻撃は、政治的に利用されることも


戦争報道で多いのが『病院への攻撃』で、大抵の場合攻撃した方は非難され、そして「ウチがやったんじゃない」あるいは「実態は病院では無く敵軍の根拠地である」などと反論されます。

非軍事的な施設である上に、軍事的であろうと無かろうと本来保護すべきなのが病院など医療施設ですが、逆に医療施設と称して赤十字(イスラム圏なら赤新月)の旗を掲げつつ、内実は武装した軍事施設である、というケースが実際に珍しくありません。
日本でも、第2次世界大戦中に『橘丸』という日本陸軍の病院船が、傷病兵を収容していると称し、実際には武装した兵員を運んでいるのがバレて、米軍にまんまと拿捕されてしまったケースなど、その最たるものです。

ですから、病院などが攻撃された場合、攻撃された方は軍事的に無力な医療施設だと主張したがりますし、攻撃した方は「それは違う」と言いたがるわけですが、こればかりは第3者が判定しないと何とも言えません。
同様に非戦闘員への攻撃も「あれは戦闘員だ」「そんなわけ無いだろう」という非難の応酬になりがちですが、時にはそれが第3国にとり、その戦争に介入する理由につながることも。

敵対する民族への虐殺行為(民族浄化・ジェノサイド)などはもってのほかですが、戦闘員と非戦闘員の区別がつきにくい内戦などでは、『攻撃して良かったのかどうか』は、しばしば政治的に利用されるほど、ルールしてある程度確立しているとも言えます。
もっとも、それが守られていたかどうかは、戦争が終わり、落ち着いて調査できるようになってみないと、何とも言えないのが実情ですが。

戦闘員なら無条件に攻撃していいわけでも無い


なお、例えばある陣地に武装した歩兵1個小隊が配備されているとして、攻撃に対して反撃するなど戦闘する意思を持っていれば、それは『戦闘員』として攻撃して良い対象だと認められています。
これは軍艦や軍用機でも同様で、しかもその際に『戦争状態にあると誰かが認めているかどうか』ではなく、実際に武力紛争が行われていれば、その時点から攻撃が認められるのです。

しかし、だからといって何でも攻撃していいわけではなく、あくまで『抵抗の意思の有無』が大事になります。
極端な話、やる気も無いのに敵が攻め寄せてきたので、さっさと白旗なりなんなりで降伏の意思を示した場合は、これも国際法で決まった武装解除や捕虜待遇を行う必要があるので、むやみやたらに攻撃していいわけでもありません。

そのため、圧倒的有利に立った側の軍隊が、敵軍に対して降伏勧告を行うことは普通に行われます(攻める方としても損害を出さなくて済む)。

しかし、捕虜待遇のよろしくない意味で評判な軍隊を相手にしている場合や、捕虜になるのが恥と教育されている軍隊では、降伏を知らないがごとく徹底抗戦してくるケースも多く、そうなると結果的に虐殺に近い戦闘結果が生じることも。
しかし、その場合でも『敵は最後の一兵まで戦意を失うことなく抵抗した』ということであれば、それは通常の戦闘行為として許容されます。

そうした悲劇を防ぐため、勝てないとわかればさっさと降伏した方がいいのでは……と思っても、捕虜になったが最後、死ぬまで強制労働が待っているケース(これも戦時国際法だけでなく人道的に違反)もあるので、そう簡単に割り切れるものでもありません。
いずれにせよ、武装して抵抗の意思を示した『戦闘員』であれば、抵抗の意思を失うまでならそれを攻撃して殺害するのは許容されます。

だからこそ『戦闘員』と『非戦闘員』は明確に分かれていなければいけませんし、『戦闘員』は『非戦闘員』を戦火に巻き込まないよう遠ざける、あるいは守り抜く義務があるとも言えるでしょう。
それが何もかもうまくいきはしないのが、また戦争でもありますが。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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