- コラム
空自はいつまで対抗できるのか?増強続く中国空軍とその歴史
2018/05/23
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2018/06/20
菅野 直人
現在でこそ極端な人種差別政策『アパルトヘイト』を放棄した南アフリカですが、かつてはその政策ゆえに国際的な経済制裁が行われた時期もありました。その最たるものはアパルトヘイト政策の拡散を恐れて禁輸が行われた兵器でしたが、それゆえ南アフリカ軍は独特の兵器を整備するようになったのです。
By Guinnog – Taken and donated by Guinnog., CC 表示-継承 3.0, Link
人種差別は今も昔も変わりなく世界中に存在しますが、それを国家の政策として近代まで存続させた例となると、そう多くはありません。
何しろ第2次世界大戦の集結直後に設立された国際連合は、『国際連合憲章』の前文によって、基本的人権や人間の尊厳その他、とにかく人が人であるための全てを認め、保護する存在でしたから、なおさらです。
であるのに、1948年に南アフリカ連邦は人種隔離政策『アパルトヘイト』を国策として、日本人など南アフリカにとって有益な国の国民を『名誉白人』とした以外、全ての有色人種に対して一方的な差別と隔離を行い、平たく言えば人間扱いしませんでした。
あまりに露骨な政策で、当時の南アフリカ連邦が属していたイギリス連邦の頭領、イギリスから激しい非難を受けると1961年には連邦を脱退し南アフリカ共和国として独立。
それでも、強烈な人権侵害を行っていたとはいえ、同時に反共主義の白人国家でもあり、ソ連の影響拡大を防ぎたい西側諸国とは軍事的協調は続き、経済制裁逃れの投資も行われた一方で、体面をおもんばかってか南アフリカへの兵器輸出だけは制約されました。
そのため、1960年代以降の南アフリカ国防軍は兵器の旧式化に直面しますが、数少ない友好国の支援を受け、独自の兵器体系を整備していったことで、南アフリカ独特の兵器を生み出したのです。
1989年に当時のデクラーク政権はアパルトヘイト撤廃へと動き出し、1990年代に入ってから経済制裁が解除されて再び海外製兵器が輸入されるようになりましたが、南アフリカ独自の兵器開発の名残は今も残っています。
その中でも代表的なものをいくつか紹介しましょう。
By NJR ZA – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
1964年から南アフリカへの禁輸政策がまずイギリスで始まり、1970年代にはフランスもそれに続きますが、それ以前の1960年代に超音速戦闘機ダッソー ミラージュIIIが輸出されていました。
しかし、禁輸で南アフリカ空軍が弱体化する一方、ソ連の援助を受けた周辺諸国には最新鋭機が配備されており、その戦力格差に不安が増します。
そこで、同じくソ連の援助を受けたアラブ諸国の中で孤立しているという共通項から秘密協定で友好関係にあったイスラエルから技術を導入、ミラージュIIIやそれ以前に輸入されたイギリス製のバッカニア攻撃機、キャンベラ爆撃機の後継機を開発します。
それがアトラス チーターで、簡単に言えば『イスラエル製IAI クフィルの南アフリカ版』です。
クフィルのように新造機では無くミラージュIIIからの改造機で、エンジンもアメリカ製J79ではなくフランス製アターを使い続けるなど、クフィルというより前身のネシェル(戦闘爆撃機ミラージュVのイスラエル製コピー機)に近い部分もあります。
しかし、兵装搭載能力や電子装備、空中給油能力や空気取り入れ口側面のカナード翼(前翼)などクフィルとの共通点は多く、イスラエル製や南アフリカ国産の空対空ミサイルなども運用できました。
現在は南アフリカ空軍での第一線運用を終了、中古機は輸出されてエクアドル空軍では今も現役と見られているほか、アメリカでDACT(異機種間空戦訓練)を請け負う民間軍事会社、ドラケン・インターナショナルも購入しています。
By Danie van der Merwe – originally posted to Flickr as Rooivalk Attack Helicopter, CC 表示 2.0, Link
ヘリコプターも空軍で運用する南アフリカでは、経済制裁期に他国で発展していた攻撃ヘリを導入できず、古いフランス製のアルエットIIIなどに武装を施した武装ヘリで周辺諸国に対抗せねばなりませんでした。
そこで、チーターの開発も手がけたアトラス社でフランス製のピューマ輸送ヘリのパワーユニットを流用した攻撃ヘリを開発、1990年に初飛行、1994年から部隊配備されたのがAH-2 ローイファルクです。
外見上は一般的なタンデム(縦列)複座、ターボシャフトエンジン双発で捜索・攻撃用センターを充実させて、機首下部に旋回式の20mm機関砲を搭載してスタブウイング(短翼)に各主兵装を搭載可能な攻撃ヘリで、極めて保守的な設計となっています。
それゆえ、アメリカ製やヨーロッパ製、中国製やロシア製などのヘリを購入できる各国では特に必要性の薄い機体で、安価でも無いため輸出も成功しておらず、少数生産で終わりそうです。
ただ、チーターやローイファルクの開発で、アトラス社改めデネル・エアロスペース・システムズは軍需産業としての実績を積み、多くの航空機や兵器の独自開発能力を得ています。
By Danie van der Merwe from Cape Town, South Africa – Oliphant Tank in mock battle, CC 表示 2.0, Link
元はイギリス連邦の一員だった南アフリカでは、イギリス製のセンチュリオン主力戦車を導入していましたが、経済制裁で最新戦車の購入が難しくなると世界中から中古のセンチュリオンをかき集めます。
そして同国のロイメックOMC社で近代化改修に着手しますが、まず問題になったのはあまりに燃費が悪くパワーも不足したミーティア・エンジンで、広大なサバンナを激走すべくアメリカ製エンジンに換装するとともに、ミッションも載せ替えました。
これがスコアキーン及び改良型セメルで、前述のチーター同様イスラエルからの支援を受けた発展型オリファントMk.1A(1983年登場)では主砲を105mmライフル砲へ換装するとともに、射撃指揮装置や装甲、サスペンションなども改良しています。
250両ほどが改造されたオリファントMk.1Aの後、エンジン、ミッション、サスペンションが一新され、追加装甲で近代戦車のような見かけとなったオリファントMk.1Bが1985年に登場。
ここまで新品にするともはや新造した方が早そうですが、まだ武器禁輸が続いている中では、兵器を1から生産するよりあの手この手で部品を仕入れ、それを組み込むしかなかったのでしょう。
しかし、オリファントはさらに120mm砲搭載の新型砲塔に載せ換えた、オリファント2が2007年に登場、今でも南アフリカ陸軍主力戦車の座にあります。
イスラエル軍でも見られた現象ですが、第2次世界大戦末期に開発されたにも関わらずセンチュリオンは基本設計に優れて拡張性が高く、アップデートを繰り返せば常に最新の性能を発揮できた上に、イギリスがあちこちに売ったので中古車が安かったのも長い活躍の理由です。
By Flickr user DanieVDM – https://www.flickr.com/photos/dvdmerwe/250838855/, CC 表示 2.0, Link
広大なサバンナが想定戦場の多くを占める南アフリカでは、見通しの良さから火力支援には長射程の砲が求められるだけでなく、機動戦に対応するため高速かつ長距離移動能力を求められました。
戦車では前述のように、遠距離射撃を可能にする火器管制装置と高速・低燃費のパワートレーンを持つオフィファント系が開発されましたが、自走砲ではより徹底されます。
それが、1981年の登場当時は極めて珍しかった装輪式155mm自走砲G6『ライノ』で、装輪式(タイヤ式)のため不整地は30km/hに留まるものの舗装路なら85km/hもの高速移動が可能。
搭載する155mm榴弾砲はテストで最大73kmの射程を実現した、自走スーパーガンと言ってもよい性能を誇ります。
陸上自衛隊でも昨今の機動力を重視した火力整備により『装輪155mmりゅう弾砲』が試作されていますが、性能的にどの程度G6に近づけるのかは不明です。
何より、そこまでの長射程兵器となると、無闇に射程を長くしても地平線のはるか向こう側になるので、弾着観測には少なくとも射撃位置から数百m上空、あるいはより敵に近い前方弾着観測班からの視点が必要になります。
それでも、輸送機などの輸送手段に頼らず高速機動が可能で、前線からはるか遠く離れた場所から弾着観測情報に従って砲弾を叩き込めるライノの戦力は魅力的です。
1987年のアンゴラ内戦に介入した時はアンゴラの空軍基地を砲撃、同基地のMig21戦闘機などを破壊することに成功、その実績を買われてかイランやアラブ首長国連邦、オマーンなどに輸出されています。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。
撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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