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2017/12/25

菅野 直人

珍兵器だと思ったら意外と傑作兵器5選

どんな軍隊でもなるべく最初から傑作となる兵器を作りたいものですが、時には「これホントに役に立つのかな?」と周りはおろか、当の軍隊でさえ半信半疑で開発される兵器もあります。それらの大半は「ああやっぱりね」で終わるんですが、中には思わぬ大成功で傑作兵器になる例も。今回はそんな兵器をいくつかご紹介します。

小型軽量ながら思わぬ大威力で最大の脅威となった、八九式重擲弾筒(日本)

Japanese Type 89 grenade discharger.gif
By from a US-Army technical manual and thus from http://www.ibiblio.org/hyperwar/Japan/IJA/HB/HB-9-2.html
scanned by: Patrick Clancey, パブリック・ドメイン, Link

小銃を発砲した時の発射ガスや弾丸を利用して手榴弾や小型の榴弾を発射する「ライフルグレネード」や、小銃を使わず専用の榴弾銃を用いる「グレネードランチャー」は古くから歩兵の火力を高める装備として開発・配備が進んでいました。

ただしこれは射程が短い上に榴弾の威力も不足しており、特に口径6.5mmと小口径の三八式歩兵銃を装備していた日本陸軍では実用に必要な性能を持たないとみなされます。
そこで榴弾の発射筒とその底部に地面に押し付ける台座を備えた十年式擲弾筒が登場しますが、それでも威力・射程共にまだ不足として改良を続け、1930年に制式作用されたのが八九式重擲弾筒です。

その当時、ライフルグレネードと小口径野砲の中間的火砲としては第1次世界大戦で本格的に大量使用された迫撃砲が採用されており、日本陸軍でも「曲射砲」と称して各種採用されていました。
ただし、砲口径70mmともっとも小型の十一年式曲射歩兵砲でもその移動には1個分隊10人が必要で、簡便な兵器とは言い難かった上に、歩兵では無く砲兵科の装備です。

それに対して八九式重擲弾筒は簡易な構造ながら各国の歩兵用小型迫撃砲並の50mm榴弾が発射可能で、軽量なためその気になれば兵1名でも運搬が可能
あまりに簡便すぎて実際の射程や威力が不足するのではという懸念はあり、その意味で前例の無い「珍兵器」だったと言えます。

しかし実際には、兵が直接投げる手榴弾は元よりライフルグレネードよりはるかに遠距離へ大威力の榴弾を発射可能で、射程も砲身の角度では無くネジの切られた砲身の長さを調整することで行ったので、弾薬や砲身の角度調整は不要。
従って簡便で軽量、取り扱いがしやすくそこそこ慣れた兵隊であれば敵の小銃や機関銃の射程外から十分な威力の榴弾を叩きこめるという、素晴らしい簡易兵器になったのです。

その威力たるや「食事していた米兵の中心に叩きこんで離散させた」「ただちに陣地変換しない機銃座は一撃で粉砕された」と言われ、歩兵の運用で神出鬼没なことからも「日本軍でおそるべき兵器のひとつ」に数えられました。
第2次世界大戦中から模倣兵器は出現して戦後も広まり、2017年現在でも米海兵隊は60mm迫撃砲を独自改良して指示脚の代わりに、八九式重擲弾筒と似たような地面に押し付ける台座を設けて運用しています

狭い!とにかく狭い!ヘンシェルHs129対戦車攻撃機(ドイツ)

ヘンシェル Hs 129B-1
By USAAF; original uploader to en.wikipedia was en:user:Maury Markowitzhttp://www.indianamilitary.org/FreemanAAF/Aircraft%20-%20German/FE%204600-Hs129B/FE-4600%20Hs129B.htm, パブリック・ドメイン, Link

重装甲と大口径機関砲を装備した対戦車攻撃機」と言えば現代では米空軍のフェアチャイルドA-10ウォートホッグが有名ですが、その元祖とも言えるのが第2次世界大戦中に開発・配備されて東部戦線でソ連軍戦車を駆逐した、ヘンシェルHs129。

各種武装パックを装備した中でなんと最大のものは75mm対戦車砲を装備、ドイツ重戦車群でも手を焼いたスターリン重戦車ですら一撃で撃破する威力から、Hs129は「空飛ぶ缶切り」と呼ばれました。

ところがその「缶切り」を操縦するパイロットにとっては、小型機に重武装と重装甲を施すためコックピット容積は非常に制限された、まさに「缶詰め状態で操縦を強いられる飛行機
計器盤のスペースすら確保できないので、一部計器は両脇のエンジンナセル(Hs129は双発機だった)に配されるという珍兵器でした。

戦争末期になると戦闘機やヤーボ(戦闘爆撃機)の生産が優先されたのでHs129の生産は次第に縮小されましたが、それでも配備された飛行隊では制空権さえあればソ連軍戦車旅団をわけなく壊滅させることができたという、傑作兵器でもあります。
もし、西部戦線からのドイツ本土爆撃が激しくなく、東部戦線でドイツ軍が十分な制空権を獲得していれば、Hs129によってソ連軍の反攻作戦は史実よりかなり苦労したかもしれません。

今更木製なの?武装は無いの? デ・ハビランド・モスキート(イギリス)

イギリス空軍のモスキート B Mk.IV
By RAF – From:en:Image:Mosquito.inflight.600pix.jpg Uploaded originally by en:User:Arpingstone on 25 April 2003, パブリック・ドメイン, Link

1940年、大英帝国の運命を決めるドイツ空軍の英本土大爆撃作戦と、それに対するイギリス空軍戦闘機隊による「バトル・オブ・ブリテン」が激しく戦われました。
当然両軍とも金属製、あるいは一部に旧弊な羽布張りを使いつつ、基礎部分は金属製という航空機で激戦からの生き残りと敵の阻止を図ります。

しかし、そんな真っ最中にイギリスのデ・ハビラント社では驚くべきことに全木製の最新鋭試作機の製作が進んでいたのです。
その名はモスキート

1940年といえば「木製機は時代遅れ、練習機や連絡機など低性能の機体以外では使いようがない」とされていましたが、「木製機でも構造を工夫すれば軽くできるし工作技術もある、接着剤のノウハウもあるから組み立ても容易だ!」とデ・ハビラント社は考えたのです。

当初は旋回銃塔などをゴテゴテと装備した豪華な機体を構想しましたが、せっかく表面仕上げなどで板の継ぎ目や表面のデコボコやリベットがある全金属製機より空気抵抗を極限できる木製機ですから、高速性能を追求した方がいいに違いありません。

そのために、必要最低限な装備を残して全部下ろしたところ、電光石火のごとき高速を発揮する偵察 / 爆撃機が誕生したのでした。
似たような例はソ連空軍の戦闘機にもありますが、モスキートは高速・大航続力・大搭載量を実現し、「時代遅れの珍兵器」のはずが「素晴らしい高速爆撃機」となったのです。

爆撃型や偵察型のみならず、夜間戦闘機型や戦闘爆撃機型も登場、その後の第2次世界大戦を通じて活躍する傑作兵器になったのでした。

駄作だと思っていた時期が僕にもありました……スホーイSu-17シリーズ攻撃機(旧ソ連/ロシア)

Su-17M4
By Rob SchleiffertSu-17, CC 表示-継承 2.0, Link

今では傑作戦闘機Su-27フランカー系列や、その後継ステルス戦闘機Su-57によって一流メーカーの仲間入りをしているロシアのスホーイですが、旧ソ連時代の1950年代初めまでは独裁者スターリンに嫌われ、試作機をなかなか採用してもらえぬ冷や飯食いでした。

それがスターリンの死去でミコヤン・グレビッチ(MiG)にも負けない最新鋭戦闘機を一気にデビューさせ、特に迎撃機Su-9 / Su-11 / Su-15はソ連防空軍の主力として脚光を浴びます。

その一方でパッとしなかったのが戦闘爆撃機のSu-7で、第3次世界大戦が起きたらヨーロッパ戦線に戦術核爆弾を落として一撃でダーっと引き上げるといいう以外に何もできない飛行機で、輸出先でも航続距離や搭載力の不足で、大した活躍もしませんでした。

それを改善すべく可変後退翼を採用したSu-17シリーズですが、何しろ元が元なだけに、冷戦時代は「いつまでも短距離で搭載力の少ない旧式珍兵器を使っている」と、かなり低い評価をされていたのです。
1983年のシドラ湾事件でリビア空軍に配備されていた輸出型Su-22が米海軍のF-14戦闘機にアッサリ撃墜されたこともあり、Su-17シリーズの「張り子の虎」感は不動でした。

しかし、1991年のソ連崩壊で冷戦が終結、東側諸国がNATO諸国など西側空軍と親睦を深める共同演習を行ったり、退役した機体のテストなどを行ってみると、意外な事実がわかります。

凡作だったSu-7から挽回すべくスホーイ設計陣によって徹底的な改良が施されたSu-17シリーズは、航続距離や兵装搭載力、電子装備などが飛躍的に強化されており、実に使いでのある戦闘爆撃機だったことが判明したのです。

2017年現在も、アメリカ製のF-16戦闘機が配備されたポーランド、Su-27を導入したベトナムなどで最新鋭機と並行して近代化改修を受けて現役が続いており、かつての「張り子の虎の珍兵器」は、「長く使われる傑作兵器」になろうとしています。

軽戦車なんて何を今さら……と思いきや、AMX-13(フランス)

AMX-13-.jpg
By オリジナルのアップロード者はヘブライ語版ウィキペディアנחמןさん – he.wikipedia からコモンズに移動されました。, CC 表示-継承 3.0, Link

第2次世界大戦前は機関銃のみを搭載した「軽戦車」でも機動力を活かして偵察や小規模な兵力の掃討には役に立つと思われ、各国で多数の軽戦車が生産されていた時期もありました。

しかし、第2次世界大戦中にはもはや、敵戦車を撃破する火力も無く、歩兵携行兵器に難なく撃破され、機動性もジープなどタイヤ式車両にかなわない軽戦車はいかにも中途半端な存在になり、一部重戦車を除けば主力はバランスに優れた「中戦車」となります。

わずかに開発・配備が続けられた軽戦車もアメリカのM24のように初期の中戦車なみの重量と火力を持って変質、かつての軽戦車とは異なるものになっていきます。

そんな御時勢ど真ん中の1946年、フランスが開発開始した軽戦車がAMX-13で、空挺部隊用に戦術輸送機で輸送可能なようになるべくコンパクト化、自動装填装置の採用で乗員も削られ、旧時代的な軽戦車が復活した「珍兵器」のように見られました。

しかし、フランスが戦後生産設備を接収したドイツ軍のV号戦車パンター用を改良した75mm砲を搭載、6連装リボルバー弾倉2つで12発までなら自動装填装置で素早い火力支援が可能など、急速展開可能な火力支援/対戦車戦闘用車両としてなかなかの実力を発揮します。

第2次中東戦争で使用したイスラエル軍は故障の多さもあってあまり重用しませんでしたが、本国フランスを含め世界各国の戦車部隊で採用。
主砲に加え対戦車ミサイルを搭載したり、主砲も90mm砲や105mm砲に強化されたバージョンが登場したほか、自走砲や対空戦車、その他の支援車両など多数のバリエーションを生み出す傑作兵器となりました。

開発開始から70年以上がたった2017年現在でも多くの派生車両だけでなくAMX-13そのものもまだ使用している国があり、開発当初は「今更ペラペラで軽いだけの軽戦車なんかで何を」と言われていたのが、思わぬロングセラー・ロングライフモデルとなっています。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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