- コラム
空の大艦巨砲! 逃げ場の無い頭上からデカイ大砲をぶっぱなす航空機用大口径砲BEST5
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菅野 直人
すごいー! たーのしー!
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菅野 直人
第2次世界大戦末期に登場し、「大東亜決戦機」と呼ばれた陸軍四式戦闘機”疾風(はやて)”。
同じエンジンを搭載した陸海軍の飛行機が「エンジンの調子さえ良ければ高性能」だった例に漏れず、誉(陸軍名ハ45)の好不調に悩まされたと言われますが、その実態はどうだったのでしょうか?
By 不明 – http://www.warbirdphotographs.com/ArmyJB&W3/Ki-84-44s.jpg, パブリック・ドメイン, Link
日本陸軍キ84、制式名「四式戦闘機」、通称「疾風」。
1941年にキ44二式戦闘機「鍾馗」の発展型として陸軍から中島飛行機に開発指示が出され、途中から新規開発機キ84となり「大東亜決戦機」として大いに期待を寄せられました。
開発中の陸軍戦闘機、特に主力となる単発戦闘機はキ43一式戦闘機「隼」、キ44二式単座戦闘機「鍾馗」、キ61三式戦闘機「飛燕」と毎年のように新型機を繰り出していましたが、いずれも連合軍の新型機に対しては苦戦を強いられています。
現在まで伝わる「戦争にはともかく、個々の戦闘、ことに空戦では負けていなかった」という通説とは異なり、最初期の植民地空軍的な旧式戦闘機との戦いを除けば苦戦していたのが陸軍戦闘機隊の実態で、この状況を打破する新型機が求められていたのです。
1943年4月に初飛行したキ84試作機は期待通りの性能を発揮して関係者を喜ばせますが、試験中にも戦局はすでに悪化しており、可能な限り早期の実戦配備が望まれました。
By 不明 – http://www.warbirdphotographs.com/ArmyJB&W2/Ki-84-36.jpg, パブリック・ドメイン, Link
そこで、試験を担当していた陸軍航空審査部飛行実験部にも増加試作機の生産開始にあたり意見が求められました。
そこで有名なエピソードが、同部の荒蒔義次少佐による増加試作機の生産機数に対する意見です。
通常、そうした増加試作機は部隊運用や実戦を行うための武装や装甲、装備を実際に整えて、実戦さながらのテストを行うものであり、海軍の零戦や陸軍の鍾馗のように、増加試作機がそのまま実戦投入される例も珍しくありません。
それでも通常はせいぜい10機程度を生産してテストを行うものですが、生産数の意見を求められた荒蒔少佐は黙って指を1本立てました。
周囲でそれを見ていた関係者は「10機? 」と思ったようですが、荒蒔少佐はニヤリと笑うと、「100機だよ、100機作ろう」そう言い放ったのです。
つまり、増加試作機をテストするかたわらどんどん実戦投入してしまい、それで生じた問題は随時量産型に反映すればいい、そうでないと戦争に間に合わないぞということで、実際に部隊配備された疾風の写真には、細部の異なる増加試作機が多く含まれています。
By Bouquey – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link
疾風の実戦配備は1944年3月に編成された飛行第22戦隊から始まり、前述の増加試作機を配備して同年5月からまず中国戦線で実戦投入されました。
ついで1944年10月の台湾沖航空戦およびフィリピン戦では量産機も含め多数投入され、多大な犠牲を払いつつフィリピン戦では一時的に制空権獲得に成功するなど活躍しましたが、多勢に無勢で戦場は沖縄と日本本土に移ります。
そこで疾風を装備して本土防空戦に活躍したのが飛行第47戦隊で、かつて鍾馗の増加試作機をもって編成され、戦争序盤のマレー戦などで活躍した独立飛行第47中隊の後身。
マリアナ諸島の基地から東京に飛来するB-29に対し、当初は鍾馗で迎撃していた同戦隊ですが、疾風に機種改変したことで「鍾馗では一撃が限度だったのが、疾風では二撃できるようになった」と言われています。
まだ夜間低高度無差別爆撃を始める前で、昼間に軍需工場を狙った高高度精密爆撃をかけるB-29に対しては上昇性能や高高度性能に優れた戦闘機が必要でしたが、既に時代遅れとなっていた鍾馗とは異なり、疾風は高性能化した戦場に対応したのです。
そして、その同戦隊の重要な戦力として多大な貢献をしていたのが、精鋭たる同戦隊の整備隊でした。
By Bouquey – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link
疾風の稼働率、つまり保有機に対する飛行可能機数の割合は部隊ごとのバラつきが激しく、中には0~20%とマトモに飛ばせない部隊まである始末でした。
この事実だけをもって、「疾風は搭載しているハ45(海軍名「誉(ほまれ)」)の稼働率不良に悩まされ、故障ばかりでロクに活躍できなかった」と断ずる通説もあります。
実際、陸海軍統合仕様の決戦エンジンとして開発されたハ45(誉)は、陸軍向け工場と海軍向け工場の体制や規格の統一による混乱で、生産はともかく「検品」に重大な問題を抱えており、無理して納入したものの品質のバラつきが非常に大きいエンジンでした。
そのため、品質が良く良好な性能を示すものがあれば、カタログスペックの数割、それどころか満足に動かないエンジンさえ出る始末だったのは事実です。
しかし、飛行第47戦隊の整備指揮班長、刈谷正意中尉の持論は「飛ぶようにできているんだから、飛ばせないのはおかしい」で、要するに不具合があれば直せばいいのに、なぜやらない? ということでした。
実際、納入された機体はまず徹底的に点検し、その後も飛行時間や戦闘状況(空戦で通常よりエンジンに負担をかけるのは当たり前)に応じて厳密に管理された整備点検やオーバーホールを実施していた同戦隊の疾風は、修理のため外部に出したものを除き稼働率100%。
上記は何も特別なことではなく、「機械なら定期整備は当たり前、使用状況や調子に応じてオーバーホールするのも当たり前」というだけの話であり、つまりは当時の陸軍航空隊の整備兵は素人も同然だった、というだけの話です。
そんな素人整備士でも、あまり整備をしなくても飛ぶ飛行機やエンジンなら何とかなりましたが、「整備が必要な機械」であるハ45(誉)とそれを搭載する疾風には、「普通の整備士が必要だった」それだけの話でした。
そのため、整備士のレベルの低さに音を上げた陸軍が飛行第47戦隊に疾風を装備する各部隊の整備士を集めて講習を行ったことさえあったそうですが、既に水冷エンジンの整備不良で消耗していた飛燕で問題になっていたことでもあり、対策が遅すぎたと言えます。
By USAAF – (Original text: Unknown) Original uploader was Minorhistorian at en.wikipedia (2008年6月6日 (original upload date)), パブリック・ドメイン, Link
こうして「普通に整備すれば普通に飛んで、普通に高性能な飛行機だった」ですが、いかんせん資材不足で生産の停滞が予想されました。
それでも必要な大東亜決戦機、材料は変わって多少性能が落ちても構わないということで、ジュラルミン(アルミの一種である軽合金)以外の材料を使い、それに伴い構造も若干変わったものが作られています。
それが立川飛行機のキ106「木製疾風」、中島飛行機のキ113「鋼製疾風」で、木製キ106はいかにも日本が得意そうに感じますが実際には接着剤の技術未熟により飛行中に脱落するなどトラブル続出で使い物になりません。
アルミの代わりに鋼材(鉄)を使ったキ113も当たり前ですが重量過大な上に、鋼材不足で試作機の製造すら進まないという、考えてみれば当たり前の事態に直面して、試作機の初飛行すらできずに終戦を迎えています。
唯一、疾風の「廉価版」でモノになりそうだったのは満州飛行機でエンジンをグレードダウン(ハ45の2,000馬力に対し1,500馬力のハ112-II)したキ116で、パワーダウンした代わりに軽くなったので速度性能以外は向上したそうです。
いわば三式戦「飛燕」のエンジンを換装した五式戦と同じような現象で、量産されれば「終戦直前の名機」と呼ばれたかもしれませんが、いかんせん満州の飛行機会社でしたからソ連による対日参戦(1945年8月9日)による混乱で、図面ともども処分されて終わったのは残念でした。
以上、日本陸軍四式戦闘機「疾風」の実態とその結末についてご紹介させていただきました。
通説にあるような「小型軽量化しすぎて工芸品のような気難しさを持ち、生産が困難だったエンジンを無理に装備して故障が頻発した駄作機」のような評価は、開発陣の問題では無く、むしろ陸軍の整備兵軽視が産んだ自業自得だったと言えます。
ガソリンのオクタン価の低さ、つまりハイオクガソリンが必要なのに無理やりレギュラーガソリンで飛ばしたから壊れた、というような話も、飛行第47戦隊では整備して飛ばしているのですから、実際には単なる整備不良だったと言って良いでしょう。
1960年代にモータリゼーションを迎え、ガソリンエンジンを積んだ自動車が当たり前のように走る前の日本は、「機械の整備ができる人材の育成を怠った」ただこれだけの理由で高性能機をマトモに使えなかった、それだけの話だったのです。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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