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2017/11/14

菅野 直人

映画ダンケルクのヒロイン? スーパーマリン・スピットファイア

皆さん、2017年9月に公開された映画「ダンケルク」はもう見ましたか?

第2次世界大戦初期の1940年、圧倒的劣勢の中をフランスから叩き出される連合軍が、撤退作戦の最中、ドイツ軍にボコボコにされる現実を伝える映画ですが、そこで航空ファン泣かせなのがたびたび登場する英空軍のスーパーマリン・スピットファイアです。

飛行可能な実機が飛ぶだけでなくレプリカも秀逸!!

2017年公開の映画で大乱舞

第2次世界大戦が始まってから数か月後、ついに始まったドイツ軍の西方侵攻でフランス軍やイギリス軍からなる連合軍は大敗北を喫し、フランスは降伏寸前となります。

ドイツ軍による包囲殲滅を恐れた連合軍はフランス北部沿岸からイギリス本土へ向け、いくつかの撤退作戦を敢行します。その中でも最も代表的な作戦が1940年5月26日~6月4日に行われ、ダンケルクから30万人以上の兵員撤退に成功した「ダイナモ作戦」です。

ドイツ軍の地上部隊が作戦中の海岸まで突入しなかったことや、イギリス本土から大型船はもとより民間人のヨットまでが兵員の救出に当たったことから「ダンケルクの奇跡」とも呼ばれ大成功を収めたとされています。

もちろん、フランス戦の後はイギリス本土上陸作戦を控えていたドイツ軍も、後の戦局を有利にするため空軍を動員、全力で撤退の妨害に当たりますが、そこに決死の想いで立ちふさがったのがイギリス空軍でした。

映画「ダンケルク」ではそのイギリス空軍最強の戦闘機、スピットファイアがたびたび登場し、その上空からの視点でも作戦の様子が紹介されています。

早逝の名開発者R・J・ミッチェルが開発

Reginald Mitchell Spitfire designer.jpg
By 不明Moved from English Wikipedia
Orginal source, パブリック・ドメイン, Link

第2次世界大戦を代表するイギリス空軍の名機、スーパーマリン・スピットファイア。
この戦闘機を開発したスーパーマリン社の航空技術者、R・J・ミッチェルは、戦前から空力的に洗練された機体に大馬力エンジンを搭載した水上機(水面に浮くためのフロートなどを装着し水上から発着する飛行機)を数多く開発していました。

その時期は、陸上を発着する飛行機に、高速と着陸距離の短さを両立するメカニズムが確立されていない時代、水面さえあれば長い滑走距離が許容される水上機の方が高速向きとされていた時代。

各国が水上機の最高速度を競った「シュナイダー・トロフィー」でもミッチェルの開発した水上機は活躍し、1931年のスーパーマリンS6Bによる優勝で3年連続優勝を達成、規定(3年連続優勝国がトロフィーの永久保持権を得る)によりトロフィーを獲得します。

レースや試験用に開発された高速機の設計を陸上機に応用すれば、優れた戦闘機が開発できると考えるのは当時の航空界ではごく普通のことだったので、ミッチェルとスーパマリン社は軍の要求する新型戦闘機計画に応募しました。

元祖スピットファイアは超絶駄作

スピットファイア Mk XVI
CC 表示-継承 2.5, Link

スピットファイア Mk XVI
 
こうして1934年に初飛行したスーパーマリン・タイプ224「スピットファイア」はS6B譲りのスッキリした胴体を持っていましたが、主翼は厚ぼったい逆ガル(W字型)翼に主脚も頑丈なスパッツのついた野暮ったいもので、エンジンも失敗作のパワー不足でした。

名前こそ同じなもののの、初代「スピットファイア」の近代的な面は主翼が単葉(一枚翼)なことくらいで、複葉機(上下2枚の主翼)に比べれば見た目が多少新しいだけで性能的には見るべきところのない駄作機で終わってしまったのです。

カッコ良くない上に凡庸な性能で超絶駄作だったタイプ224に代わり、ミッチェルはより洗練して主脚も引き込み式としたタイプ300を設計しますが、空軍はまだ納得しません。結果的に、ロールスロイスの開発した新型エンジン「マーリン」に実用化の目途がたち、これを搭載するようタイプ300に改良を加えます。

それが空軍に採用され、最初の試作機が初飛行したのは1936年3月のことでした。
当時、日本ではいずれも単葉ながら固定脚、第2次世界大戦では初期のみ活躍できた海軍の九六式艦上戦闘機が採用されたばかり、陸軍の九七式戦闘機に至ってはまだ初飛行前という時期です。

開発者のミッチェルは既にその頃悪性のガンに犯されていましたが、死を前に執念でスピットファイアを開発、その執念が後にイギリスを救うことになります。

ミッチェルは1937年に死去しましたが、その後もスーパーマリンの技師陣によってスピットファイアの開発と改良は続けられました。

バトル・オブ・ブリテン! 大英帝国の守護者

Spitfire mk2a p7350 arp.jpg
By Adrian Pingstone (Arpingstone) – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Link

スピットファイア Mk IIa
 
初飛行した(2代目)スピットファイア原型機は今度こそ高性能を発揮し、特に飛行安定性は「手放しで水平飛行ができる!」とテストパイロットからの評価も上々でした。

折しもナチス・ドイツの台頭で次の戦争が迫っていると考えられていたためイギリス空軍はスーパーマリンにスピットファイアを大量発注、同社もそれを見越して新工場を建設していたため、続々と量産が開始されます。

ただし、第2次世界大戦開始時(1939年9月)にはまだスピットファイアによる部隊編成はあまり進んでおらず、同時期に採用されて生産がより容易なことから部隊配備の進んでいた「ホカー ハリケーン」が主力戦闘機でした。

ハリケーン Mk. IIC
By Kogo投稿者自身による作品, GFDL, Link

ハリケーン Mk. IIC
 

1940年5月に始まったフランス戦でもハリケーンがほとんどで、映画「ダンケルク」にスピットファイアが登場したのは虎の子中の虎の子、実際にはハリケーンや、動力銃座戦闘機として有名(そして駄作)のデファイアントが活躍しています。

スピットファイアがその猛威を本格的に発揮したのは1940年7月からの英本土防空戦「バトル・オブ・ブリテン」で、依然として多数を占めていたハリケーンが爆撃機の攻撃に専念できるよう、護衛のドイツ空軍戦闘機メッサーシュミットBf109を相手にスピットファイアはその高性能を活かして立ち向かいました。

結果、ドイツ空軍の大被害を与えて英本土防空戦に勝利したイギリスはドイツ軍の英本土上陸戦回避にも成功し、ハリケーンとともに「大英帝国の守護者」となったのです。

朝鮮戦争でも活躍した、唯一の戦前型戦闘機

Seafire F XVII SX 336 wings up.jpg
By Kogo投稿者自身による作品, GFDL, Link

イギリス海軍のシーファイアF XVII
 
その後もスピットファイアは数々の細かい改良や高高度型、低高度型、艦上機型などサブタイプの開発、エンジンを「マーリン」よりハイパワーな「グリフォン」への換装などを受け、第2次世界大戦全期間にわたり、あらゆる戦場で戦い続けました

戦後も中東戦争などで引き続き活躍を続け、1950年に勃発した朝鮮戦争では急きょ編成された国連軍の一翼を担うイギリス極東艦隊の空母から、海軍型シーファイアが参戦。
第2次世界大戦が始まった1939年から10年以上も改良を受けつつ戦い続けたことになります

中南米など高価な新型戦闘機を変えない貧乏国の戦争で1960年代にアメリカ製の第2次世界大戦型戦闘機が活躍した例はありますが、先進国の軍用機でこれほど長期にわたり活躍したプロペラ戦闘機はスピットファイアくらいではないでしょうか

なお、スピットファイアには改良型のほかに主翼や構造を抜本的に改め再設計した「進化型」と呼べるモデルがあり、空軍ではスパイトフル、海軍ではシーファングが開発されています。

これらは第2次世界大戦の終結や、ジェット戦闘機時代の到来で本格的な量産に至りませんでしたが、スパイトフル / シーファングの主翼はイギリス海軍初のジェット艦上戦闘機、アタッカーに流用されました。

映画ではYak-52のレプリカがいい出来

Yakkes Yak-52 RA-3085K.jpg
By Erik Coekelberghs – Yakkes Foundation, www.yakkes.com, CC 表示-継承 3.0, Link

Yak-52
 
最後に、映画「ダンケルク」(2017年版)に登場したスピットファイアについて。
戦勝国であるイギリスでは、アメリカ同様現在でもフライアブル(飛行可能)なスピットファイアが数多く現存しており、劇中にも実際のスピットファイアが登場しています。

その他にも空戦シーンの一部に「アレ? スピットファイアっぽいけど違う?」という奇妙な機体が写りますが、これ実は旧ソ連 / ロシアのヤコゴレフで開発され、ルーマニアで生産されているYak-52という練習機。

複座(2人乗り)なので主にカメラプレーンとして使われていますが、撮影中写りこんでも問題無いよう、当時のイギリス空軍機風、それも何となくスピットファイア風にアレンジされているのがポイント。

実物はともかく、「カメラプレーンにもスピットファイアへの愛情を感じる!」と、航空ファンを喜ばせたのでした。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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