- コラム
軍人偉人伝「練習あるのみ!最強スナイパー、シモ・ヘイヘ」
2017/05/22
菅野 直人
すごいー! たーのしー!
2017/11/6
菅野 直人
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アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン
軍人が登場する創作モノでは必ずと言っていいほど「戦争の申し子、他に何もできないくらい戦争が好き」という人物が登場しますが、今回紹介するアールネ・エドヴァルド・ユーティライネンもそんな人物の1人。戦争となれば悪鬼のごとく暴れまわりますが、それ以外は本気で箸にも棒にも掛からぬ人生を過ごしいつの間にか亡くなっていたという、その人生(軍歴)とは?
ユーティライネンという名前はどちらかというとエース揃いの冬戦争~継続戦争期のフィンランド空軍、その中でも「無傷の撃墜王」と言われた、エイノ・イルマリ・ユーティライネンの方が有名かもしれません。
By Finnish Defence Forces photographer – http://www.tarrif.net/wwii/interviews/ilmari_juutilainen.htm, パブリック・ドメイン, Link
無傷の撃墜王 エイノ・イルマリ・ユーティライネン
敵がやたらと多すぎ100機以上撃墜のエースがゴロゴロいたルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)を除けば最高記録の94機+1/6の撃墜数を誇った上に、1度だけ敵弾が翼をかすめたほかは被弾したことがないという「奇跡」でも有名です。
その「無傷の撃墜王」がまだ子供の頃、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(第1次世界大戦におけるドイツの撃墜王)の回顧録をプレゼントしてパイロットへの道を開いた兄こそが、今回紹介するチート人物、アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン。
北極圏の小国フィンランドがソ連軍相手に大奮闘した冬戦争(1939~1940年)、継続戦争(1941~1944年)ではフィンランド軍そのものが常識はずれの変態的チート集団でしたが、中でもチート兄弟と言えるのがユーティライネン兄弟でしょう。
アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン(以下、「アールネ」)は1904年、まだ帝政ロシアと同君連合だったフィンランド大公国のヴィープリ州ソルタヴァラ(現在はロシア領)で生まれます。
同国は1917年にロシア革命で帝政ロシアが滅びると、そこからアレコレと紆余屈折を経て1918年12月にフィンランド共和国として完全独立、アールネは1925年に予備役将校学校、ついで1926年には陸軍士官学校に入学します。
しかし型にハマるのが苦手なタイプだったようで、卒業4か月前に3回ほど「ちょっとした規則違反」により1年間の停学。しかし人手不足だったのか、停学中にも関わらず少尉として自転車大隊に仮配属されるものの、ここでも3回ほど規則破りをやらかしたことが士官学校にバレ、1928年には士官学校どころか軍を追い出されます。
そのためアールネのフィンランド軍における立場は「士官学校中退の予備役将校」という中途半端なものになり、生涯フィンランド軍の職業軍人にはなれないという陰がついて回るのでした。
フィンランド人と言えば滅多なことで笑わないと言われますが、真面目というか寡黙な国民性の中で、さぞかし目立ったことでしょう。
その後は船員に転職、見習いとして甲板掃除などしていたようですが、そこで真面目に働けるようならそもそも順調に軍人になっています。すなわち、たまたま新聞で見たフランス軍外人部隊の求人広告を見て「何か面白そう!」とさっさと船員をやめてパリに旅立ち、フランス外務省外人部隊募集オフィスの門を叩いたのでした。
1930年、フランス外人部隊に入隊したアールネは26歳。
そろそろ兵隊としてはちょっと高めの年齢ですが、能力はあったためか、それとも戦争が楽しくてしょうがないと目覚めたのか、フランス領モロッコで「モロッコの恐怖」と呼ばれる活躍をします。
と言っても、インターネットで検索しても大抵「モロッコ植民地戦争でモロッコの恐怖と呼ばれた」と軽く書いてある程度で、具体的にどのような功績があったのか、そもそも「モロッコ植民地戦争って何?」という疑問にぶち当たるのではないでしょうか?
モロッコはフランスとドイツが覇権を争った場所ではありますが、第3次リーフ戦争(1920~1925年)以降は「植民地モロッコ対宗主国」という形での大規模な紛争は、1956年に独立するまで起きていません。
ただし、独立運動そのものは1930年代から盛んだったようで小規模な戦闘は常にあり、そこでフランスの覇権を示す尖兵として外人部隊は盛んに戦ったようです。アールネもフランス領モロッコの都市、フェズに送られて独立運動の鎮圧に当たったのですが、これが「モロッコ植民地戦争」ということなのでしょう。
ここでアールネがどのような戦いぶりを示したかについて明確な記録は見当たりませんが、武功を認められて外国人としては珍しく将校(尉官)となっているので、相当な活躍をしたのは確かなようです。
一説には、敵の狙撃兵をおびき出すためあえて屋外の安楽椅子でくつろぎ、逆に敵を狙撃していたとも言われています。
1935年にフランス外人部隊を除隊後、フィンランドに戻って陸軍に戻ってはまた叩き出され、酒浸りの荒れた生活をしていたようで、「戦争してないとダメな人」の本領を発揮し始めました。
退屈なのでやっぱり外人部隊に復帰してアフリカに帰ろうか、と考えるアールネを母親が引き止めている状態でしたが、そうこうしているうちに1939年11月30日、ソ連軍が国境を越えてフィンランドに侵攻、「冬戦争」が始まります。アフリカに行かずとも、戦争の方からアールネに迫ってきてくれたというわけです。
戦争という「日常の回復」にアールネがどのような感想を持ったか定かではありませんが、フィンランド陸軍第12師団第34連隊第6中隊(通称「カワウ中隊」)の中隊長として現役復帰。
そこで出撃前に中隊の装備充足に心を砕くアールネですが、既に始まっていた第2次世界大戦(1939年9月1日開戦)やソ連による圧力の中、世界から見放され半ば孤立した小国に過ぎません。
当然、動員兵力全てに満足な武器弾薬装備を支給できるわけも無かったのですが、その窮状を訴える補給担当将校などに対し、アールネはこう言い放ちました。
「キミらは拳銃を持っているだろう? それでうまくやりたまえ。」
半ば略奪するような強引さで装備を充足させたアールネに他部隊から非難が巻き起こりますが、
「砲弾の破片が飛んできてから、鉄兜が無いと叫んでも手遅れだ」
と、どこ吹く風。
結果的に精鋭部隊となったアールネ率いる「カワウ中隊」は、第12師団が圧倒的兵力で押し寄せるソ連軍を冬戦争の終戦まで食い止めた「コッラーの戦い」で中心的役割を果たします。
ピクニックに行くような気楽さで出撃しては戦車撃破5両、対戦車砲2門鹵獲など大戦果を上げるなど、その活躍は国内マスコミでも報じられ、アールネは一躍英雄となりました。
その際、師団長から最前線のアールネに「コッラーは持ちこたえるか?」と問われたのに対し、「コッラーは持ちこたえます。我々が退却を命じられない限り」と答えたエピソードは有名です。
戦場におけるアールネは、平時のロクデナシぶりが嘘のように人望が厚く人使いのうまい指揮官であり、ソ連軍が砲撃してくる中でもロッキングチェアー(モロッコで待ち伏せ狙撃に使った安楽椅子と同じかは不明)で悠々くつろぐ豪胆ぶりで人心を掌握していました。
「イワン(ソ連軍)の砲撃などどうせ当たらん」とばかりの態度は徹底しており、ある時など砲撃のさなかにクリスマスのミサをとりおこないました。
「パッパ(フィンランド語で「親父」)」と呼ばれて親しまれていたアールネの部下には、かの「世界最強の狙撃手にしてサブマシンガンの達人」シモ・ヘイヘも含まれており、彼が敵の狙撃手に狙われて重症を負いながら生還した時など、アールネは祝宴を開いたそうです。
一方、人使いが巧みなエピソードとしては、ある時に配属された2人の召集兵が「自分たちは良心に基づき武器を持てない」と訴えた時の話が有名で、この時アールネは
「よろしい。ただし歩哨(見張り)は義務なので、しっかりやりたまえ。なに、イワンが来たら雪玉でも投げつけて、そこを通さなければいいんだ。」
と答え、さすがに武器無しで戦うのは御面こうむると観念した招集兵は、武器をとって歩哨に立った……という話が残されています。
冬戦争で英雄となったアールネですが、独ソ戦の開幕でフィンランドもドイツの同盟国としてソ連と戦った「継続戦争」、敗北してソ連と講話を結ぶ条件として、ドイツ軍を叩き出すため戦った「ラップランド戦争(1944~1945年)」でも戦い続けます。
しかし、戦争が終わると士官学校中隊の予備役将校に過ぎず、面倒ばかり起こすため戦時昇進もできなかったアールネは再び軍を追い出され、戦傷により海外で外人部隊などへ従軍もせず、痛みを紛らわすためアルコール中毒となり家庭も破綻。
「戦争英雄」としても忘れ去られ、軍の兵站部からの細々とした仕事で食い繋ぎ、1976年に72歳で死去しています。まさに「戦争のためだけに生き、それが終わると歴史の表舞台から消えた軍人」の典型的な生涯でした。
物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。
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