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2017/10/9

菅野 直人

同志スターリン、突撃! 旧ソ連軍IS重戦車シリーズ5選

戦車の名前に人名が使われることはよくあるのですが、昔のイギリス戦車にはそのものズバリな「チャーチル歩兵戦車」、ソ連には「スターリン重戦車」もありました。スターリン戦車など損害続出したらいろいろ怖いことが起きそうですが……なお、ヨシフ・スターリン書記長のイニシャル「IS」から、ISシリーズとも呼ばれます。

IS-1/IS-2(1943年)

IS 1 prototyp.jpg
By 不明http://www.morozov.com.ua/eng/body/tanks/t-43.php, パブリック・ドメイン, Link

初のISシリーズは1943年から生産開始。それまでのソ連主力重戦車KVシリーズよりさらに強力で、「ソ連最強戦車」を意味するとしてISと命名されました。

なお、KVというのも国防人民委員クリメント・ヴォロシーロフのイニシャルでしたが、スターリンの昔なじみという理由で粛清こそされなかったものの、冬戦争や独ソ戦での相次ぐ失敗から失脚していたので、戦車の名前も心機一転という意味合いがあったようです。

そのため初期のIS-1はKV重戦車の85mm砲搭載発展型として開発されましたが、すぐ威力不足が判明して122mm砲装備のIS-2に発展します。今度こそパンターAだろうがティーガーIIだろうが楽々撃破できる重戦車が誕生しましたが、被弾面積を減らし重装甲化しながら極力小型軽量化したため車内、特に砲塔内は狭く、砲弾は28発しか積めませんでした

初期型は車体前面の操縦士用開閉式バイザーブロック(覗き窓)が弱点で、小林源文の漫画「黒騎士物語」でもパンターAに立て続けに75mm砲を叩き込まれて撃破、エルンスト・バウアーの「情け無用! ファイア!」という名言を残しました。

IS-3(1945年)

Iosif Stalin III 4.jpg
By DON S. MONTGOMERY, USN (RET.) – Defense Visual Information Center (DVIC) (http://www.dodmedia.osd.mil/)
http://www.dodmedia.osd.mil/Assets/Still/1987/Navy/DN-ST-87-07902.JPEG, パブリック・ドメイン, Link

1945年5月にドイツが降伏してヨーロッパでの戦争が終結、太平洋戦線で日本がまだ頑張っていたとはいえ先は見えており、アメリカおよび西欧連合軍がヤレヤレと思っていたところ、ソ連軍のベルリン戦線に突如大挙して現れ、度肝を抜いた重戦車

IS-2の防御力改善バージョンで徹底した傾斜装甲を持った当時としては超近代戦車で、これを敵に回したらたまったものではないと恐怖に怯えた西側諸国は、M103重戦車(米)やコンカラー(英)といったIS-3対抗馬を開発しました。

傑作戦車として戦後も1970年代まで長く使われましたが実戦経験は少なく、第2次世界大戦では日ソ戦でも間に合わなかったので、本格的な戦車戦は1967年の第3次中東戦争でエジプト軍とイスラエル軍の激突が唯一。

練度の差でイスラエル軍が勝ちましたが、その時点でもイスラエル軍のM48A2パットン戦車の90mm砲はIS-3の装甲に弾かれ、正面切った戦いでの撃破は困難だったそうです

IS-4(1947年)

IS-4 Tank.jpg
By User:VORON SPbhttps://picasaweb.google.com/108542979851278616589/glcvsE#, CC 表示-継承 3.0, Link

重装甲と小型軽量さを両立させたIS-1~3が「とにかく狭いし砲弾もあまり搭載できない」という欠点を持っていたので、思い切って大型化とさらなる重装甲化を行ったのがIS-4です。

ただ、大型化したといってもその分重装甲化しているので、結局122mm砲弾は30発と、IS-2からいくらも増えていません。おまけに重量過大とコスト超過で扱いにくく、IS-3より早く1960年代には退役してしまいました。
発展型のIS-5およびIS-6もパッとしなかったので、ソ連軍重戦車隊は長らくIS-3を使い続けることになります

IS-7(1946年)

IS-7 in Kubinka 2.jpg
By User:VORON SPbhttps://picasaweb.google.com/108542979851278616589/glcvsE#, CC 表示-継承 3.0, Link

IS-3やIS-4と同時並行的に開発されていたISシリーズ最強を目指した戦車で、ドイツ軍のティーガーII戦車やヤークトパンター駆逐戦車が装備していた長砲身88mm砲や、それ以上の戦車砲にはIS-2でもしばしば撃破され、IS-3でも安心とは言えませんでした。

そこでさらなる重装甲と、IS-2やIS-3の122mm砲より強力な、海軍の艦載砲を転用した130mm戦車砲を装備。まさに当時最強の重戦車として誕生したのです。

開発開始からすぐに第2次世界大戦は終わってしまったものの、西側諸国への対抗のため開発は続行され、1948年までに生産された試作車でのテストは良好、特に約70トンとソ連史上もっとも重い戦車でありながら、余裕のパワーで最高速60m/hを発揮しました。

ただし、あまりに重すぎてサスペンションや転輪の耐久性が無く、実用性は低いとみなされて結局量産されずに終わっています

IS-8 / T-10(1952年)

T-10 Kiyv 2.jpg
By User:VargaA – 投稿者自身による作品, GFDL, Link

ISシリーズの最後を飾るIS-8は、1948年開発開始の完全に戦後型戦車で、IS-7ほど重くないものの十分な装甲と機動力を持ち、戦車砲も手慣れた122mm砲なので問題は無かったので、1952年から量産開始されました。

しかし1953年にスターリンが死去すると、ソ連指導部内で「スターリン批判」「非スターリン化」が起き、スターリンの命令で進められていた軍備の見直し、冷遇されていた設計局の復権などでソ連軍はガラリと変わっていきます。IS-8は優秀な性能故に生産中止にこそならなかったものの、名称はT-10へと変更、これで歴代ISシリーズは終わりました

既に時代はT-54 / 55やT-62といった新世代戦車に移りゆく中でT-10のような重戦車も陳腐化していき、実戦もほとんど経験していません。

ただ、予備戦力としては有効だったのか、1980年代まで第一線部隊に残っており、最後の1両が除籍されたのはソ連崩壊後の1993年だったそうです。

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

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