• TOP
  • 駄作ビックリ兵器「空母がデカイので大きくてもいいと思いましたッ! 幻の九三式艦上攻撃機」

2017/09/22

菅野 直人

駄作ビックリ兵器「空母がデカイので大きくてもいいと思いましたッ! 幻の九三式艦上攻撃機」

今では空母の艦上でスパホもレガホも中国のJ-15もインドのMig29Kも双発エンジンですが、エンジン2つの艦載機が空母上で見られるようになったのは第2次世界大戦後の話。しかし、それよりはるか昔に日本海軍で双発艦上攻撃機の開発が試みられたことがありました。しかし、大きすぎるとかそれ以前に全くのダメ飛行機だったようで……

日本初の大型空母「赤城」「加賀」就役!

改装後の「加賀」(1936年)
By 深水氏 – 広島県呉市海事歴史科学館所蔵品。, パブリック・ドメイン, Link

艦上機が飛行甲板から発艦し、また飛行甲板に着艦する世界初の航空母艦「フューリアス」が誕生したのは1917年のこと。
 
それから10年後の1927年とその翌年に、日本海軍でも大型空母「赤城」「加賀」が相次いで就役しました。

10年の間に空母と艦上機も大きく進化……したとは言えずに未だに試行錯誤が続いており、両艦とも今の目から見ると「変なフネ」として完成します。ワシントン海軍軍縮条約によって廃棄予定だった天城型巡洋戦艦2番艦と加賀型戦艦1番艦を転用した両艦は、世にも珍しい(そして未だに他に類を見ない)三段式飛行甲板だったのです

実際には、中段は滑走台としてもちょっと使うのが難しいので航海艦橋および主砲甲板として使われましたが、下段は発艦用、上段は着艦用として「同時発着」が可能なように作られていました。今のようにアングルド・デッキ(斜め飛行甲板)など無い時代の試行錯誤というわけです。

さらに大型機と小型機は上下別々の甲板で発艦することも考えてありましたが、実際には下段飛行甲板も使いにくかったので全ての艦上機は上段のみで発着するようになり、やがて長大な一段飛行甲板空母として大改装されることになりますが、それ以前に開発された「大型機」がありました。

大型空母用大型攻撃機を開発せよ!


1929年、イギリスから呼んだ「お抱え外国人技師」ソッピース社のハーバート・スミス氏の設計により、一〇式艦上戦闘機や一三式艦攻(艦上攻撃機)など初期の国産艦上機を制作していた三菱に対し、海軍が「大型空母用の双発大型艦上機を開発せよ」と発注しました。

これに対し、三菱は先のスミス氏のほか、ハンドレーページ社、さらに当時八九式艦攻を開発していたブラックバーン社のペティ氏とイギリスの3社に設計を依頼。
 
ペティ氏のブラックバーン案を採用して詳細設計は日本人技師が担当しましたが、ここで海軍から横槍が入って二転三転、結局ペティ氏の基本設計をいじくり回して最終設計がまとまり、実機を製作するのに1932年までかかりました

おまけにペティ氏の前作、八九式艦攻は性能不良で一三式艦攻を完全に代替えできず、海軍航空廠が独自に一三式を近代化した九二式艦攻を開発した方がマシだったという体たらくで、どうも基本設計からして怪しい気がします。

それでもどうにか完成した試作機は、「赤城」「加賀」の格納庫に収まるよう主翼折りたたみ機構を備え、全幅19.2m、全備重量6.35tの堂々たる双発艦上攻撃機として、大空に飛び立つのでした!

案の定というべきか、艦上機失格


なお、九二式艦攻が全幅13.5m、全備重量3.2tでしたから、機体が一回り大きいのはともかく、何か重量過大な気がして嫌な予感がします。
 
後に日本海軍最後の艦攻となる「流星」が全幅14.4m、全備重量5.7tでしたから、この試作双発艦攻は結局、第2次世界大戦終結まで日本最大の艦上機でした。

それをわずか620馬力のエンジン2基で飛ばしたので、まずアンダーパワーは否めません。ほかにも主翼は折り畳めるものの、空母に積むにはやはり大きすぎ、パワー不足で片発飛行不可、つまり左右どちらのエンジンが止まっても墜落するので、事故率は単純に考えて単発機の2倍と、全くいいところ無し。

極めつけには、元から怪しいペティ氏の原設計から無理やり小さくしたので、方向安定性不良で着陸時に首を振り、とてもではないが空母に着艦などできない代物でした。
採用されれば九三式艦上攻撃機になるはずだった試作機は、艦攻失格の烙印を押されてしまったのです

その後は一応中攻のご先祖……ということに?

離陸滑走中の九六式陸上攻撃機(G3M-37)
パブリック・ドメイン, Link

それでも海軍は陸上機としてなら使えるかもと思ったのか、1934年に九三式艦攻ならぬ九三式陸攻(陸上攻撃機)として採用、原設計に近づける形で改修を指示した上で、20機近くを生産します。それで何とかマトモに飛ぶようになったのでペティ氏は艦上機さえ作らなければマトモな技師だったことは証明されました。

しかし、アンダーパワーな上に設計が未熟でトラブルが多発したエンジンも含めて改修を繰り返しているうちに、近代的で高性能、何よりマトモに飛ぶ新型中攻(中型攻撃機)「九六式陸攻」が完成してしまいます。

結局、「期待の新型双発大型艦攻」は、ダラダラと開発していたら九三式艦攻になれず、またダラダラと改修していたら九三式陸攻としても無用になってしまうという、無駄な数年と多額の費用を費やしただけで終わったのでした。

その他の双発艦上機

Douglas T2D.jpg
By USN – U.S. Navy Naval History Center Dictionary of American Naval Aviation Squadrons. Volume 2: The History of VP, VPB, VP(H) and VP(AM) Squadrons [1], Public Domain, Link

ダグラスT2D-1
 
実は双発大型艦攻というのは日本に限らずアメリカも開発しており、1926年に海軍工廠XTN-1およびダグラスXT2D-1を完成させますが、たとえ大型のレキシントン型空母でも不向きとされて、1928年にT2Dが陸上機として少数生産されただけで終わりました。

その翌年に開発を始めた日本でもダメだったので、当時の技術では双発艦上機というコンセプト自体に無理があったのでしょう。

結局「空母から発着できる双発機」の実用化には、第2次世界大戦末期に少数の配備が始まった、グラマンF7Fタイガーキャット(米)や、デ・ハビランド シーモスキート(英)でようやく実現したのでした!

菅野 直人

物心付いた時には小遣いで「丸」や「世界の艦船」など軍事情報誌ばかり買い漁り、中学時代には夏休みの課題で「日本本土防空戦」をテーマに提出していた、永遠のミリオタ少年。撤退戦や敗戦の混乱が大好物で、戦史や兵器そのものも好きだが、その時代背景や「どうしてこうなった」という要因を考察するのが趣味。

この記事を友達にシェアしよう!

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

サバゲーアーカイブの最新情報を
お届けします

関連タグ

東京サバゲーナビ フィールド・定例会検索はこちら
東京サバゲーナビ フィールド・定例会検索はこちら

アクセス数ランキング